画面のこちら側

取り敢えず色々手を出してみる

さよなら Wake Up, Girls -「Wake Up Girls! Beyond the bottom」感想みたいな何か-

WUG!続・劇場版後編「Wake up Girls! Beyond the bottom」が公開されたので、感想みたいな何かをつらつら書いていこうと思う。前編での感想も書いたし、後編も書かなきゃなということで。

53分間に及ぶダイジェスト

「Beyond the bottom」の感想を端的に言えば、雑である。良く言えば、ダイジェスト版を観せられている感じである。前編で撒いた餌をただただ雑に回収していく。正直言って、ショックだった。こんなものが観たくて、映画館まで行ったんじゃないんだ。ぼくはWUG!を盲信していると言っていい。だからこそ、ショックを受けたのかもしれない。

都落ちと3代目センター

BtBでは大きく分けて2つの側面から描かれた。I-1clubとWUGだ。I-1clubでは前編で嗾けられた売上の競い合いの結果とそれに伴う変化が描かれた。勝利した鈴木萌歌はI-1clubの3代目センターに就任し、敗れた岩崎志保は博多に左遷される。 都落ちアイドルとなった岩崎志保は、博多でネクストストームを結成し、アイドルの祭典への出場、優勝を目指すこととなる。一方の鈴木萌歌はI-1clubセンターとして、I-1clubを引っ張っていこうとする。

このセンター交代劇を経て、2人は大きく変わることになる。アイドルに対し誰よりも真摯であり、厳しくもあった岩崎志保は一つの答えを見い出す。自分が目標であるというアイドルに出逢ったからだ。元I-1club研究生であり、ネクストストームのメンバーである彼女らとの出会いは岩崎志保というアイドルの救いであろう。直向きに努力し、ただただ走り続けトップアイドルになった娘がその立場に悩むことが描かれる話は多い。2次元アイドルの多くが10代20代の多感な女の子であるからこその壁である。そんな彼女らがまた走りだすきっかけはやはり、自分に憧れてアイドルになったという後輩アイドルの存在だった。自分に憧れ、追ってくるものの存在が、彼女らを輝きの向こう側に連れて行くのだ。ネクストストームは岩崎志保にとって、島田真夢の呪縛から開放してくれた存在であり、彼女が走ってきた道が間違ってなかったことの証明だ。挑戦者となった岩崎志保は、ネクストストームに背中を押され、輝きの向こう側に行くのだろう。劇中、彼女はやっとアイドルが好きになれそうと言った(正確にはその意味が分かる気がするだが)。彼女が輝きの向こう側に向かって走りだしたからこその科白ではないか。そう思えてならない。

鈴木萌歌の方はどうか。こちらはかなり雑に描かれた。そう感じる。次期センターと言われていた頃の彼女は高飛車であり、自信家であった。自分に絶対的な自信があったからこそ、彼女は自由であったし、高いプライドを持っていた。その高いプライドと絶対的な自信が、3代目センターとなった彼女の支えである。アイドル界の頂点に君臨しているI-1clubのセンターという重圧は彼女の想像を絶するものだったのだろう。全体練習で(ほんの一瞬だけ)描かれた彼女からは、絶対的センターであった岩崎志保を髣髴とさせる。小早川ティナと鈴木玲奈の大丈夫?という問いに、間髪を入れず大丈夫と返すその姿は正に岩崎志保そのものではなかったか。彼女から見た岩崎志保は決して凄くはなかったと思う。才能はない。努力で勝ち取ったおさがりのセンター。そういう風に見ていたはずだ。だから、岩崎志保の背負っていたものの重さを知った彼女は負けるわけにはいかなかった。それが後編での鈴木萌歌だ。3代目センター鈴木萌歌は、絶対的センター岩崎志保とは違う道を歩むのだろう。世代交代は美しく面白い。きっと描くことはいくつもあったはずだ。時間的な制約を考えれば、真っ先に切られる話かもしれないが、ちゃんと描いて欲しかったと思う。後編での鈴木萌歌は今まで以上に脇役だった。モブと言ってもいいかもしれない。3代目センターとして、新たなアイドル像を見出そうとしている彼女がこれでは哀しすぎないか。

 強引なWUG

もう一つの側面であり、主軸であるWUGであるが、地元仙台に戻り、雑草魂で巻き返しを図る。楽天選手にあやかって何苦楚魂にすれば良かったのに。WUGは土日の朝昼晩のライブを復活させ、夏休みには知名度アップのためにアイカツワゴンWUGワゴン「ごんちゃん」で全国行脚にでる(聖地巡礼する人は大変だろうな……)。アイカツ!の「ルミナス☆ジャパンツアー」を思い浮かべた人はぼくだけじゃないはず。そして、丹下順子の戦友佐藤勝子に書いてもらった新曲「Beyond the bottom」を引っさげて、アイドルの祭典に挑む。

後編ではアイドルの祭典のレギュレーションの都合上、「少女交響曲」とは別にもう一本新曲が必要となった。頼みの早坂には書かないと言われ、良き理解者であるTwinkleは全国ツアー前の多忙を理由に断られる。そこで登場したのがサファイア麗子こと佐藤勝子である。この佐藤勝子周りはかなり強引な印象を受けた。佐藤がサファイア麗子(WUG結成前にグリーンリーブスに在籍していた最後の一人)だという設定もだが、丹下順子の事務所のお金の持ち逃げの理由となった〝愛しのダーリン〟が佐藤だという設定がかなり強引だったと思う。その借りを理由に新曲の作詞作曲を頼むことになるのだが、果たしてその設定は必要だったか。佐藤勝子は丹下順子の戦友。これだけで良かったはずだ。丹下を庇うことはなかった(この過程で前編で撒いたセイント40という餌を適当に消費してしまったというのも大きいと個人的には思っている)。アイドルだけでなくアーティストにとって、楽曲は大切なものである。現実とのハイパーリンクを謳っているWUG!が、新曲をWUG自身が書くという展開にならないのは分かる。だからこそ、もっと丁寧に書かなくてはならないのだ。これでは書かせる相手がいないから、設定でコテコテに固めて、無理矢理それっぽい人を作ったにしか見えない。

後編では前編で提示された「WUGらしさとは何か」という問題に、現時点での解答として一つの山場を描いた。久海菜々美である。劇中、久海菜々美は父親の言葉で揺れる。光塚か、WUG!か。悩む彼女の背中を押したのは林田藍里だった(前編といい、続・劇場版では僕らの主人公林田藍里さんが大きく成長したことが見られて嬉しい)。島田真夢、片山実波も彼女の背中を押し、彼女は光塚受験のために空港へと向かう。そして、WUGはアイドルの祭典のために東京(実際には埼玉)へと向かう。仙台駅でいつものやりとりをする6人。それに対し、どこか悲しい顔をする久海菜々美。対称的な二組を交互に映すことで、久海菜々美の選択を思いを描く。この演出は良かったともう。ぼくはこういう演出は大好きだ。だが、早かった。久海菜々美が光塚受験を告げ、一大決心をしてWUGに戻ってくるまで、恐らく5分ほど。あまりにも雑である。後編の肝と言ってもいいこの山場をそんな短時間で片付けてよかったのだろうか。仙台駅でのWUGと仙台空港での久海菜々美はあれで良かったのかもしれない。だとすれば、ワンクッション挟むべきだったのでないか。7人から6人になったことでフォーメーションの変更があったはずだ。実際にそれを匂わせる発言は劇中でもなされていた。ならば、それは描いて良かったのではと思う。丁寧であるべき箇所を雑に描いている。後編からはそういった印象を受けてしまう。

雑すぎるアイドルの祭典

そして、物語は最終盤、アイドルの祭典を迎える。これは酷かった。中身がない。おまけにもご褒美にもならない。何のために、アイドルの祭典を描いたのか。前哨戦とでも言うべき、島田真夢と岩崎志保の会話シーン。完全にモブと化した鈴木萌歌が悲しくてたまらなかった。ここでトップ7の中で唯一科白どころか映ってすらなかった相沢菜野花に、ようやく初出番が訪れる(鈴木玲奈も科白がなかったが出番はあった)。TV版では科白の多かった彼女だが、劇場版では不遇である(鈴木玲奈はTV版でも不遇だが)。悲しいことにディフェンディングチャンピオン赤味噌オールスターズは今回は名前しか出てこなかった。ライブシーンの作画は凄かった。ライブシーンに力を入れすぎたのか、ちょっと気になる作画があったぐらいだし。 だが、TV版と同じく細切れになる。ネクストストームやI-1clubのライブパートをダイジェストしておいて、肝心のWUGのライブパートは細切れというのはどうなのか。TV版でもそうであったのだから、WUG!の本質はそこではないのかもしれないが、やはり物足りない。

だが、これはそうでもない。気になる程度であって、取り立てて怒ることでもない。酷かったと、許せなかったと思うのは、エンドロール後に描かれた一枚絵だ。あれ、いるか? 描く必要があったか? 非常に雑で非常に強引な終わり方だったと思う。後編の流れで優勝を描くには無理がある。続・劇場版の主軸を考えれば、優勝を描く必要はなかったはずだ。劇中で大田邦良は「アイドルは勝ち負けではない。だが、勝たなければならない戦いもある」と述べている。確かにその通りだ。だが、それはアイドルの話であって、アイドルアニメの話ではない。アニメに限らず、物語には、書かなくてもいいお話もある。全てを書く必要なんてない。続・劇場版において、アイドルの祭典での優勝は無理に書かなくても良かった部分だったと思っている。はっきり言って蛇足だ。あの一枚絵のせいで、すべてが崩れてしまったと思っている。WUG!が描きたかったこと、WUG!で描きたかったこと。それら全てをあの一枚絵が壊してしまったと感じたのである。

山本寛監督はパンフレットに記載されているインタビューで「[後篇]はすごくあっさりした感じで終わりましたよね。ここで変に盛り上げたり、逆に無理に思わせぶりなエンディングにしたりするのは止めようと思いました。ここで強引にまとめて、次が作れなくなるのが一番恐ろしい(笑)」と答えている。たとえエンドロール後に優勝のシーンを描かずに、例えばWUGコールの中、舞台から客席を見渡すシーンだったとしても、無理に思わせぶりだったり、変に盛り上げたとは思わなかったと思う。むしろ、あの一枚絵で終わったほうが、無理に思わせぶりだったり、変に盛り上げたと感じる。こればっかりは、個人の好みでしかないので、大きくは言えないが。

終わりに

ここまでなんだかんだ書いてきたが、ぼくはWUG!が大好きなんだと思う。この事実は変わらないんだと思う。だからこそ、こんな文章を書いてるんだと思う。もちろん、後編にも良い所はたくさんある。僕らの主人公林田藍里さんを筆頭に、WUGの成長はもちろんのこと、高科里佳にCVがつき動いてることは本当に嬉しかった。林田藍里の部屋にクラッチと思われるポスカード?があるのも良かった。

2015年12月12日に行われた「Wake Up, Girls!Festa. 2015 Beyond the Bottom Extend」では、新プロジェクトも発表された。WUG!はまだまだ終わらないというわけだ。ぼくはきっとこれからもWUG!を追っていくんだと思う。だって、WUG!が大好きだから。特別だから。

 

続・劇場版公式サイト

wakeupgirls2.jp

ありがとうWUG! -「Wake Up Girls! 青春の影」感想みたいな何か-

WUG!続・劇場版「Wake up Girls! 青春の影」が公開されたので、感想みたいな何かをつらつら書いていこうと思います。本当は続・劇場版の公開前にもいろいろ書こうと思ってたんですが、PVが公開された時に心が折れました。後編が観終わってからでもいいかとも思いましたが、そうしたら絶対に書かない未来が見えたので、お酒の力を借りて描くことにしました。

ぼくは岩崎志保さんを応援しています

青春の影」の感想を端的に述べれば、「ああ、WUG!だ。これは紛うことなきWUG!だ」です。ストーリーは綺麗な王道です。王道を王道として書くのは難しい。その点、流石です。劇場版、そしてTV版と全くもってぶれていません。ここらが「ああ、WUG!だ。紛うことなきWUG!だ」と思った理由かなと思っています。

どうせ細かいストーリーはもっと上手い人が書いてくれるでしょうし、もう少し詳しく、感想みたいな何かを書いていこうかなと思います。正直な話、前編後編に分けるのなら、もう少し丁寧に書いても良いのではと思いました。でも、前編のテンポの良さを考えると、あれぐらいが丁度良いのかもしれません。「青春の影」は心地良ぐらいのテンポで話が進みます。このテンポの良さは1時間程度の映画だからこそ描ける書き方なのかもしれません。

青春の影」でもっとも嬉しかったのはI-1clubについて描かれていたことです。スカイツリーの描写(結構ぼくは好きです、あの書き方)から、映しだされるI-1club報告会。そこでの白木さんの科白には痺れました。白木さんのアイドル感。白木さんの徹底的なアイドル哲学はこれまでも描かれてきましたが、アイドル感については描かれてなかったように思えます。だからこそ、あの科白には感慨深いものがありました。

そして、I-1clubのセンター争い。これにも痺れました。岩崎志保のセンターへの思いというのはTV版でも度々描かれてきました。対する鈴木萌香がセンターを狙っているというのも描かれていたので、とうとうかという感じでもあります。

アイドルとは何か。これについて未だによく分かっていません。白木さんのアイドル感。岩崎志保のセンターへの執着。突然の鎌倉の老人。これがぼくのこの疑問の答えの手助けになるのではないかなと勝手に思っています。どういう答えが出るのか、後編が楽しみです。

石神井公園勾当台公園に成り得るか

I-1clubについては書いたので、WUG!についても書こうと思います。今回は、僕らの主人公林田藍里ちゃんの成長っぷりに泣きました。ホテルでのシーンもなんですが、石神井公園で「タチアガレ!」を歌い始めた時は、泣きました。ええ、泣きました。今までの林田藍里ちゃんなら、あの場面で歌いださなかったと思います。でも、どんなに成長ししても、林田藍里ちゃんは林田藍里ちゃんなんだとも思いました。この感じは「青春の影」で丁寧に描かれている印象を受けました。確かに今作のWUG!はかなり成長してます。でも、どんなに大きくなっても、WUG!はWUG!なんだよ。そんな思いを受けました。

WUG!が行き着いた先が石神井公園だというのも興味深かったです。どこかの駅前でも何でもなくて、石神井公園。そう言えば、「7人のアイドル」でもお店の裏や駅までビラ配りにライブをしますが、最後に行き着いた先は勾当台公園でした。演出的な理由かもしれませんが、意図的な対比を感じます。というか、感じさせて下さい。WUG!として活動をスタートさせた勾当台公園。WUG!としてリスタートした石神井公園。心躍るものがあるじゃないですか。

そういう意味では、後編で描かれるアイドルの祭典もいいですね。TV版ではアイドルの祭典を経て、WUG!らしさを見つけました。WUG!を見失っている彼女らが、今回のアイドルの祭典で何を見つけるのかが楽しみでありません。

早坂相とかいうワグナー

青春の影」の早坂さんを見てて思ったのですが、彼は太田くんですね。太田くんより厄介なワグナーですね。アイドル像というのは普遍的ではありません。一人ひとり違うものでしょう。早坂さんには早坂さんのWUG!像があるのでしょう。でも、早坂さんの持つWUG!像は、プロデュースする側の持つそれではありません。消費する側のそれです。それも彼の持つWUG!像は大別すれば保守的です。だからこそ、東京に進出してきたWUG!に苛立ちを隠せないようです。WUG!はWUG!のまま成長していって欲しいようです。WUG!に変化は求めていない。進化を求めているのかもしれません。

石神井公園での早坂さんの言動は、そんなワグナーとしての一面を隠せていないように感じました。東京に染まって潰されいく彼女らに耐え切れず、曲なんて作ってしまうですから。そう言えば、早坂さんはどこまで作ったのでしょうか? 曲だけ? 歌詞も? もしかして、振付まで?

本家のワグナーである太田くんもかなり悩んでいるようでした。彼もWUG!の急激な変化に色々と思うところがあるのでしょう。太田くんは特殊なキャラです。アイドルアニメにしては、かなり丁寧にオタクを描いているのではないでしょうか。アイドルではなくても、自分が応援しているものがどんどん進んでいくことに不安になることはあると思います。そう考えると、太田くんは狂信的なのかもしれません。

この2人のワグナーがどのような答えをだすか。これも楽しみなところではあります。

最後に

読み返してみると、どんどん駄文になっていってますね。申し訳ないです。ただ、皆さんも早く「青春の影」を観ましょう。「7人のアイドル」、TV版を楽しく観た人なら、楽しめるのではないかなと思います。それと「Beyond the Bottom」が楽しみですね。

読まなくてもいいおまけ 他の客に迷惑をかけるのは止めましょうと言うお話

観に行った映画館に迷惑なおじさんがいたんで、そのことを書いておこうかなと思いまうす。別に糾弾したいわけではなくて、誰かに話したり、何処かに書いておかないと、精神的に辛いんで書いておくだけです。

青春の影」の入場特典は、完全ランダムなので、選べないわけなのですが、スタッフの方に難癖をつけて、自分で選んでいるおじさんがいました。もちろん、封書に入っているので、お目当てのものを得られるわけではないのですが、やはりいい感じではありません。スタッフの方は対応に困っていましたし、近くのお客さんに対し切れており、スタッフの方に八つ当たりするという有様でした。

そのおじさんは、上映終了後にも騒いでいました。上映中にガサガサと音がした。静かに見れないのか。金返せとのことでした。ぼくはそのような感じは受けなかったので、そのおじさんの勝手な思い込みだと思います。

別にオタクだからというわけではなく、人としてどうなのよ。一人の大人として、それは駄目でしょというお話でした。

続・劇場版公式サイト

wakeupgirls2.jp

自分の人生においてトップ10に入る小説

Twitterで #自分の人生においてトップ10に入るゲームをあげてけ っていうハッシュタグが流行っていたので、ぼくもと思ったんですが、ぼくはゲームが苦手で10個も上げられるほどプレイしていません。それなら小説かなってことで書きました。Amazonの商品情報貼っつけてみたかったし。本棚作成機能を使って読書メーターの方でやっても良かったんですが、読み終わった本に登録したものしか登録できないのでやめました。読書メーターをやる前に読んだ本もあるので。

横山秀夫『ルパンの消息』

横山さんのデビュー作です。面白そうな小説を見つけたと言って、母が買ってきたのがこの本でした。この本を読むまでぼくがどんな本を読んでいたか記憶にありません。ですが、これを読んだ後に読んだ本は覚えています。ぼくの読書の好みはこの作品を堺に変わったと言っても過言ではないくらい衝撃的でした。

あらすじ紹介は苦手なので書きませんが。さすが横山作品だなという感じです。横山作品の良さというか癖がすべて詰まっています。現在でももちろん大好きですが、この作品を機にぼくは横山作品にのめり込んでいくことになります。

 

ルパンの消息 (光文社文庫)

ルパンの消息 (光文社文庫)

 

 

森見登美彦宵山万華鏡』

当時アニメ化もされたこともあり、『四畳半神話大系』が流行っていました。ぼくもご多分に漏れず『四畳半神話大系』を経て、森見さんのファンになりました。当時はアニメは観ていませんでしたが、アニメ化というポップはどこか魅力的でした。『四畳半神話大系』の次に読んだ森見作品が『宵山万華鏡』でした。装丁が綺麗。それが買った理由でした。

魅惑的で幻想的な世界観に魅了されたのを覚えています。『四畳半神話大系』のような自虐的な面白さではなく、作品の持つ世界観に閉じ込められていく面白さがありました。この作品の後に読んだ『太陽の塔』が決定打となって、ぼくは森見作品にのめり込んでいきました。

 

宵山万華鏡 (集英社文庫)

宵山万華鏡 (集英社文庫)

 

 

乙一『天帝妖狐』

初めて読んだ乙一作品は『GOTH』でした。集英社さんの夏の恒例キャンペーンである「ナツイチ」がきっかけで読みました。『GOTH 僕の章』に載っている「土」を読んでいる時、自分の首筋に痛みが走りました。ちょうど登場人物がシャープペンシルで自分の首を刺したことが書かれていたシーンを読んでいる時でした。ぼくは怖くなり二度と乙一作品は読むまいと心に決めました。

それから数ヶ月が経った時です。たまたま本屋で面白そうな本を見つけました。誰の本だろうかと表紙を見た時、ぼくは驚きました。乙一と書かれていたからです。当時のぼくは迷いました。二度とと読むまいと決めたのに。でも、凄く面白そうだし。何らかの運命的な何かを感じていましたし、これで最後だと自分に言い聞かせ買うことに決めました。これで最後ならついでにと、買ったのが『天帝妖狐』でした。

この本に収録されている「A MASKED BALL」を読んだ時、ぼくは思いました。この人の作品を二度と読まないというのは、あまりにも損していると。乙一さんの作品を読み漁ろうと。そして現在では乙一さんの大ファンとなり、新作がでるのを心待ちにし、新作を読んでは、乙一さんのファンになってよかった、あのとき偶然取ったの本が乙一さんの本で良かったと思うのです。

 

天帝妖狐 (集英社文庫)

天帝妖狐 (集英社文庫)

 

 

乙一『暗黒童話』

『天帝妖狐』の時に上げた偶然取った本がこの『暗黒童話』です。今までで最も読み返した本だと思います。いつ読んでもぼくはこの世界観に引き込まれ、読む度に泣いています。この作品はぼくにとって、乙一さんの原点であります。ぼくはこの作品に嵌り過ぎてしまっているので、いつまでもいつまでも幻想を追っているような気がしてなりません。それが良いことなのかは分かりませんが、ぼくはこの作品を胸に置きながら、これからもずっと乙一作品を読んでいく気がします。

ただ一つはっきりしているのは、ぼくは乙一さんの作品が好きだってことだけです。これからもずっと。

 

暗黒童話 (集英社文庫)

暗黒童話 (集英社文庫)

 

 

辻村深月『凍りのくじら』

ドラえもん好きは必読」そんな感じのことが書かれた可愛らしいポップに惹かれて買ったのがこの作品でした。中身はそんな可愛らしいポップとは正反対の重い作品でした。ページを捲る度に心がえぐられていきました。あんな辛い思いをしながら読んだ小説は初めてだったと思います。そして終盤のあの感じ。辻村作品の終盤を読んでいる時に感じるこの気持を的確に表せる言葉をぼくはまだ知りません。藻掻いても藻掻いても先の見えない暗闇の中で、突如現れるとっても小さな小さな光。そういった感情に近い気がしています。

この独特な感じが辻村作品の癖であることに気づくのはもう少し先の話です。

 

凍りのくじら (講談社文庫)

凍りのくじら (講談社文庫)

 

 

辻村深月『子どもたちは夜と遊ぶ』

当時、入学した大学の生協では辻村作品が平積みされていました。辻村作品の何が面白いのだろうかと思っていました。乙一さんの時ほどではありませんでしたが、『凍りのくじら』を読んだぼくは辻村さんの作品には少し気をつけたほうがよいと思ってたからです。改装前の生協は文庫本のコーナーがそこそこ広く、暇な時はよく通っていました。何度も何度も通ううちに、とうとうぼくはそのうち1冊を手に取りました。刷り込み効果というか何と言うか、通う度に目に入っていたので気になって気になって仕様がなかったのです。

『子どもたちは夜と遊ぶ』を読んだ時に感じた気持ちは、『凍りのくじら』のときと同じです。いや、あの時よりもっと辛かったかもしれません。ただ、読み終えた時の衝撃は今でも忘れません。ここでも言わずもがな、この作品を機に辻村作品に傾倒していくわけです。

 

子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)

子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)

 

 

子どもたちは夜と遊ぶ (下) (講談社文庫)

子どもたちは夜と遊ぶ (下) (講談社文庫)

 

 

宮下奈都『スコーレNo.4』

話が合う友だちがいなくて、ずうっと読書ばかりしていた高2,高3。その時に出会った作家さん、ーー横山秀夫さん、森見登美彦さん、乙一さん、辻村深月さんは、ぼくにとってかけがえのない人になりました。そういう意味で言えば、あの時の読書体験というのは、ぼくの人生の中でも大切なひとときだったと思います。

逆に大学に入ってから、嵌った作家さんの一人が宮下奈都さんです。どうして『スコーレNo.4』を読もうと思ったのか記憶にありません。はっきりと覚えているのは、この作品が宮下作品を好きになったきっかけだということです。

宮下さんの作品はどれも綺麗で温かいです。読み進めていくうちに包み込まれていく、そんな気持ちになります。この包み込まれていく感じは、当時のぼくには新鮮でした。宮下作品を好きになるまで、そう時間を要しませんでした。

 

スコーレNo.4 (光文社文庫)

スコーレNo.4 (光文社文庫)

 

 

小野不由美魔性の子

「多分、君なら面白いと思うと思うよ」こんな言葉とともに、先輩から貸してもらったのが『魔性の子』でした。正直な話、先輩には悪いのですが、そんなに面白いとは思わないだろうなと思っていました。人に本を薦めるのはなかなか難しいことは知っていましたから、逆もまた然りだろうというわけです。

蓋を開けてみれば、普通に嵌っていました。面白くて面白くて、ページを捲る手が止まりませんでした。そのことを先輩に告げると、とても嬉しそうでした。そして、次々と「十二国記」シリーズを貸して下さり、ぼくはそれを貪るように読みました。気づけばぼくは「十二国記」シリーズの虜になっていました。魅惑的な世界観の中でか細くも力強い登場人物の足音に、ぼくは今まで味わったことのない読書感を感じました。

 

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)

魔性の子―十二国記 (新潮文庫 お 37-51 十二国記)

 

 

安東みきえ『天のシーソー』

大学に入ってからは作家買いしかしていなかったのですが、久々にそうではない買い方をしたのがこの作品です。時間を潰していた本屋さんで偶然見つけました。どういうところに惹かれて買ったのかはよく覚えていません。ですが、買って良かった読んで良かった作品でした。

とても暖かく包み込まれていく感じを受けながら、読み進めていきました。ぼくは一人っ子なので、兄弟姉妹がいる感覚は分かりませんが、この姉妹の距離感は心地よく、話が進む度に大きくなっていく感じに心が温まりました。物語の無限大を実感した作品でもありました。

 

天のシーソー (ポプラ文庫ピュアフル)

天のシーソー (ポプラ文庫ピュアフル)

 

 

桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない

少女には向かない職業』と迷いましたが、こちらの作品のほうがぼくに与えた影響が大きい気がするので、こちらを選びました。角川さんの夏の恒例キャンペーンである「発見!角川文庫」で知った本でした。痛々しい作品で、その痛々しさがとても心地良かったです。

これを書いている現在、桜庭さんの本はあまり読んでいません。悩んでいるという感じです。今まで読んだ桜庭作品はどれも心地よい辛さがあり、好みではあるのですが、次が踏み出せない状況です。そういうこともあってか、書く内容が思いつかないのでここらで。

 

 

終わりに

好きな小説を10冊だけ選ぶのは難しいと思ったので、ぼくの読書感の転機となった作品を10冊選んでみたら、こうなりました。改めて自分の文章力の拙さに投げていますが、ここに上げた作品はどれも人気作品ですので、ぼくがここで紹介しなくても、もっと上手い人たちが紹介しているので、ぼくはこの程度でも充分かもしれません。

思い返してみれば、沢山の本を読んできたなという感じです。でもまだまだ読み足りないので、これからももっと本を読んでいきたいと思います。本当に読書が苦にならない性格で良かったな、読書が好きでよかったなと思います。

アイドルアニメにありがとうと言いたい

環境が変わり、あまりの淋しさに耐えられなかったので、バンダイチャンネルに課金しました。アニメを観て淋しさを紛らわそうというわけです。まだ観ていなかったアイドルアニメを幾つか観たので、思いつくままに感想みたいなものを、だらだらと書こうかなと思います。

ありがとうアイカツ!

真っ先に観始めたのが「アイカツ!」。ぼくは(色々あって)3rdシーズンから観始めたので、早く1st、2ndシーズンを観なくてはと思っていました。でも、101話か~って思うと、なかなか観れなくて……。気づけば、半年。気づけば、「ありがとうアイカツ!」しか言わなくなった。ああ……。1話を観始めた時は、どれくらい掛かるのかと思っていましたが、1ヶ月も経たないうちに、101話を観終わっていました。恐ろしいものです。

101話まで観た中で一番印象に残っているのは、第7話「つぶやきにご用心」、第89話「あこがれは永遠に」も捨て難いですが、やはり第22話「アイドルオーラとカレンダーガール」ですかね。この回は多くの人が上げる気がします。ラジオのお悩み相談に対する星宮いちごの回答には泣きました。まぁ、泣きました。

まだ、1st、2ndシーズンを観ていなかった時、知り合いから3rdシーズンを新鮮な気持ちで観れるなんて羨ましいと言われました。でも、ぼくは悔しいと思いました。1st、2ndシーズンを踏まえての話が幾つかあるからです。1st、2ndシーズンを観ている人たちは、あのシーンは1st、2ndシーズンのこのシーンと対応している。そのようなことを言うわけです。確かに、3rdシーズンから観始めても話は通じますし、ちゃんと面白いです。でもやはり、ぼくだけ置いてかれているような、悲しい気持ちになりました。しかし101話観た今、彼の気持ちが分かります。あの新鮮な気持ちで3rdシーズンを観ていた頃に戻れないのは、悲しいと思うこともあります。

アイカツ!の良さは何なのか。これはぼくが書くまでもないでしょう。ぼくよりももっと上手い人たちが、きれいな文章で、熱い情熱を持って書いています。ぼくの駄文を読むより、そういう人たちの文章を読んだほうがきっと良いです。

ただ、はっきり言えるのは、アイカツ!を観ましょうということだけです。でも、さすがにこれはないので、気が向いたら纏めるかもです。

AKB0048

リアルタイムで観なかったことを後悔していた作品でした。これが見放題だったというのもバンダイチャンネルに課金した一つの要因です。端的に感想を言えば、観てよかったです。

もう少し詳しく言うと、1期最終話あたりは泣きました。2期は笑いが止まりませんでした。そして、2期最終回は言いたいことはあるが、良かったとは思う。そんな感じですかね。

書くべきか少し迷いますが、その言いたいことというのは凪沙と智恵理、友歌のことです。1期終盤当たりから何となくですが、凪沙は14代目前田敦子を襲名するのだろうという予感はありました。なので、智恵理はどうなるのかは気になっていました。AKB0048は凪沙と智恵理の2人体制です。パワーバランス、この言葉が正しいかわかりませんが、を考えれば、智恵理にも大きな称号が必要なのは分かります。でもさすがにあれはやり過ぎな気がしました。もう少しなんとかならなかったものかと思うのですが、ではどうすれば良いのかは思いつきませんでした。友歌と護の絡みは13話でかなり綺麗に描けていたと感じました。なのにどうして、また26話で掘り返すのか。せっかく綺麗に纏ったのに、台無しです。

言いたいことはこれぐらいです。まぁ鰐淵恵や26話の織音についても言いたいけど。

色々言いたいこと書きましたが、AKB0048は面白いです。観て損はないので、ぜひ観ましょう。

XENOGLOSSIA

アイドルアニメではないですが、普通に面白かったです。インターネット上でかなり叩かれていたので、どんなものかと思っていましたが、本当に面白かったです。本当に2007年のアニメかぁ~?とは思いましたが。まぁ、ぼくはアイドルマスターはあまり知りませんし、あまり思い入れもないですし、当時を知りませんしではありますが……。

10代の女の子をあれだけ綺麗に描いているアニメはなかなか無い気がします。どのキャラも丁寧に綺麗に描かれているからこそ、彼女らの行動一つ一つが切なく、苦しく、美しく感じました。

皆も観よう

観終わってから1ヶ月程経ってしまい、早く書かなきゃと思ったので、纏ってない酷い文章になりました。時間があればもう少し増やして、綺麗に纏めたいとは思っています。

ただ一つ言えることは、どれも面白いアニメですので観ましょうということです。別にアイドルアニメでなくても、アニメでなくても良いと思います。何か作品に触れて、だらだらと感想を書いて欲しいと思います。そういうところに作品に触れる意味があるとぼくは思います。

 

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艦これアニメ感想

艦これアニメも終わったので、感想みたいなものをつらつらと書いていこうかな、と。

各話ごとのなんとやら

取り敢えず各話ごとに、当時の自分のtweetと共に感想でも書いていきます。ハッシュタグ付けてると、こういうことも出来て便利ですね。

#1 初めまして!司令官

1話はこれに付きますね。「艦これは授業参観。デレマスは株主総会」とか何とか言われてましたが、御多分にもれずぼくも授業参観状態でした。

#2 悖らず、恥じず、憾まず!

 残念なことに、何も覚えてなかったです。^^; tweet見る限りだと、足柄さんの飢えた狼ネタがあった回だったか、と。ゲーム科白以外に2次創作(というか、ネットネタ?)をぶっこんでいくことがここらで明確になりました。

#3 W島攻略作戦!

一番最初に ネットが大荒れした回でしたね()。一応戦争ものなんだから、轟沈は避けて通れないと思っていたので、別に驚きはしなかったんですが……。とは言え、ちょっと雑かなーとは思いました。

#4 私たちの出番ネ!Follow me!

 ゲーム科白を使うのは良いと思うんですけど、闇雲に使えば良いってわけじゃないでしょ……。

#5 五航戦の子なんかと一緒にしないで!

ありがとう瑞加賀な回だったと思うですけど、感想っていう感想をtweetをしていませんでした。リアタイで観ていたんですけどね。ここら辺からギャグアニメ感が強くなってきた印象があります。

#6 第六駆逐隊、カレー洋作戦!

 「ぼくらが求めていたもの」とか言われていた回です。tweetから察するに、大井のbotがどうのと騒がれていた時期だと思います。アホかって感じですが。

#7 一航戦なんて、大ッッキライ!

 そんなことはありませんでしたね。主人公さんの有能さというより、他の娘の無能さが目立ち始めてきた回でもあったと思います。

#8 ホテルじゃありませんっ!

 謎の水着回でした。体調が悪かったんで、実況をしてなかったので、取り立てて纏めることもありません。

#9 改二っぽい?!

 この回も体調が悪くてリアタイで観てないので、大したtweetがありませんでした。

#10 頑張っていきましょー!

 帰省してたため、これまたリアタイで観てないので、実況tweetがないですね。こうなってくると、過去tweetを取り上げる意味があるか分からなくなってきますね。主人公さんが空回りして、夢で見たとかいう衝撃的な贔屓理由が明らかになった回でした。

#11 MI作戦!発動!

 前世の記憶というより、ループものでも見せられているようなアバンがあった回でした。むっちゃんがながもんさんを抱いてたけど、ながもんさんの頭のやつ邪魔じゃなかったのかな?

#12 敵機直上、急降下!

 最終回だから(制作側が)好き勝手やらせて貰ったっていう感じの回でした。アニメの世界では二人で弓撃つの流行ってるんですかね? 前に五航戦もやってましたよね。後半、正規空母の皆さんがずばずば艦載機飛ばしてましたけど、蒼龍さんって飛ばしてました?

 

取り敢えず、各話の感想はこんな感じです。

叩かれまくったアニメスタッフ

結果的にアニメスタッフは叩かれることになってしまいました。好みなんて人それぞれなので、叩かれるのはある程度は仕方がないとは思いますが、艦これアニメは度が過ぎた叩かれたでした。

ぼくはアニメスタッフは板挟みなのかと感じました。艦これアニメを観る限り、艦これ運営側から何らかの要望があったことは確かだと思います。要望という強いものではなかったかもしれませんが。アニメスタッフ側も運営側の希望を叶えようとしながらも、提督(プレイヤー)の期待にも応えようとしていたように思えます。

人の好みは様々です。250万もいるらしい提督全ての希望するアニメの制作は不可能でしょう。それでもなるだけ叶えようとした結果、ああなってしまったように思えます。シリアスものにするのか、日常ものにするのか。艦これアニメはどっちつかずでした。このようになったのも、こういうところが原因なのかなと思います。

アニメスタッフ側が視聴者に対して神経質になる必要はないと思います。視聴者の顔色を伺ったところで、面白いものは作れないでしょう。そんなことをしなくても面白いと思ってくれる人は勝手についてきます。制作側が視聴者像を細かくしてしまうと、面白いものは作れないと思います。これはアニメに限ったことではないでしょう。読者像、視聴者像がふわっとしていた方が面白いものを作れるとぼくは思っています。シャープにすればするほど、雁字搦めになってしまい、結局つまらないものが出来上がると思います。

最後に

色々言いましたが、ぼくは艦これアニメを楽しんで観ていました。花田先生や草川先生にはありがとうと言いたいです。まぁ、書きたいことはまだあるんですけど、わざわざ火に飛び込む必要もありませんからね。

 過去記事

今回のよりは纏まってる気がします。

 

jkflipflopuding.hatenablog.jp

 

 

jkflipflopuding.hatenablog.jp

 

私的10年代アイドルアニメ論

もともとこの記事は、私のTumblrに投稿したものである。あれを書いてから、「アイドルマスターシンデレラガールズ」が放送を開始したこともあり、私なりに気に食わない点を修正して、もう一度投稿しようと思い、この記事を書いた。Tumblrでなくはてなブログに投稿したのには、それといった理由はなく、はてなブログを使ってみたかった。それだけである。

 

地元ではアニメがほとんど放送されてなかったこともあり、私は大学生になるまで、アニメというのをほとんど観たことがなかった。しかし、気づけば友だちの洗脳の甲斐もあり、今では数多くのアニメを観ている現状だ。ただそれでも、アニメを観始めてたった4年である。これから書くのは、あくまでも〝新参〟の個人的な意見、つまり戯言である。そこら辺を踏まえて、大きな心で読んでいただきたい。

ラブライブ!」はアイドルアニメか

μ'sはアイドルであるが、ラブライブ!はアイドルアニメではない。これが私の持論であるが、中々納得してもらえない。一言でもこれを言えば、避難の雨あられである。そもそも、アイドルアニメとは何なのか。アイドルが出ていれば、アイドルアニメなのか。私は違うと思う。劇中において、アイドルが「手段」ではなく「目的」である。端的に言えば、これがアイドルアニメの十分条件だと思う。
このことを踏まえてもらえば、前述の持論も少しは理解してもらえると思う。彼女らにとってアイドルは手段であったからだ。彼女らはあくまでも廃校の危機を救うためにアイドルになったのであり、アイドルになりたいという夢があったわけではない(例外もいるが)。このことは非常に大きいと思っている。劇中では〝アイドル〟としての彼女らはほとんど描かかれていなかった。多くは〝音ノ木坂学院生〟としての彼女らだ。スクールアイドルなのだから、当たり前ではないかと思うかもしれない。だが、これはラブライブ!ラブライブ!たる所以であると同時に、ラブライブ!がアイドルアニメではないことの証明なのである。
学生でありながらアイドルというのは、アイドルアニメではよくあることだ。2次元アイドルに限らず、現実のアイドルでも普通のことであるから、当たり前と言えば当たり前である。学生アイドルであることの弊害。これは数多のアイドルアニメでも描かれている。だが、特定の学校の生徒であることに言及したものはなかったと思う。だが、ラブライブ!は違う。彼女らは学生アイドルではなく、〝音ノ木坂学院生アイドル〟なのだ。だからこそ、物語の中心は音ノ木坂学院になるのである。アイドルが目的ではなく手段であったからこそ、音ノ木坂学院生としての一面が強くなるのではないか。
私は彼女らにとってアイドルが手段であったからこそ、2期11話での結論に至ったと考えている。彼女らにとって大切なのはμ'sというアイドルではなく。音ノ木坂学院のμ'sなのである。9人でのμ'sでなければならないというのなら、他にやりようがあったはずだ。だが、彼女らはその道を選ばなかったし、その方法は描かれなかった。それはラブライブ!において、音ノ木坂学院で過ごした日々が大切であることの何よりの証明ではないだろうか。スクールアイドルのμ'sではなく、音ノ木坂学院生のμ's。これがラブライブ!である。スクールアイドルが主人公のアイドルアニメではなく、スクールアイドルが主人公の学園もの。これがラブライブ!をカテゴリ分けしたときに、最もしっくりくる言葉ではないだろうか。少なくとも私はそう思っている。

WUG! の問題点

「Wake Up,Gilrs!」を初めて見たのは劇場版「Wake Up,Gils! 7人のアイドル」の試写会であった。この日のことはよく覚えている。試写会終了後、私は怒りに震えていた。過度なパンチラシーン。これが全てだったと思う。WUG!はこれで有名になり、これで叩かれる運命となった。監督がヤマカンであることは、あの時点ではそこまで問題ではなかったはずだ。私はWUG!に嵌った現在でも、あれは許せていない。やっぱりするべきではなかったと思っている。
監督がヤマカンであることに加え、劇場版の過度なパンチラシーンで、アニメ視聴者は放送前からWUG!に失敗作の烙印を押した。放送が始まっても、それは変わらなかった。所詮ヤマカンアニメ、所詮パンチラアニメといった状況で、内容など関係がなかった。それらに引っ張られて、WUG!はまともに観られていなかったと思っている。
はっきり言ってしまえば、私はWUG!の信者であろう。試写会終了後では想像だにしなかったが、TVシリーズを経て現在では立派な信者である。だが、手拍子で褒めているわけではない。やはり叩かれる部分もあり、それから目を背けることはできない。例えば、前述の過度なパンチラだ。これは叩かれても文句は言えないのではないかと思う。劇場版のライブシーンのパンチラ。あれにはどんな意図があったのだろうか。彼女らの必死さを表したかったのかもしれない。だが、過度なパンチラのおかげで本質からずれてしまってた。視聴者はあのシーンからはパンチラしか感じ取らなかったはずだ。どんな大義名分であろうと、あのパンチラの前では掠れてしまうだろう。それでは本末転倒ではないか。WUG!におけるライブシーンは特殊だ。キャストが実際に踊ったものを撮影し、そこからアニメに起こすという手法を用いている。そのことは、WUG!の売りの一つであったはずだ。それもあのパンチラで台無しである。
他にもTVシリーズにおける作画などがあるが、それよりも私はキャラ設定のぶれが凄く気になっている。劇場版のデビューライブの直前に、久海菜々美は緊張しいであるということが明かされた。久海菜々美が緊張しいというのは、意外な設定でありとても印象に残っていた。しかし、TVシリーズにおいて、その設定は活かされるどころか、触れられることはなかった。これ以外にもそれまでの設定がなかったことになることが多かった。なかったことになるというよりは、あったことを忘れているという感じかもしれない。好意的に考えれば、キャラ設定のぶれは尺の都合があるかもしれない。
そもそも、前日譚である劇場版もTVシリーズに組み込むはずだったが、尺の都合で劇場版にしたという経緯がある。それでも、TVシリーズからは尺が足りない印象を受ける。しっかりと描かかなければならない部分が描けていない。そんな印象を受けた。その印象を最も強く受けたのは、8話と10話だ。8話は所謂ななみん回であり、久海菜々美を描いた話だ。久海菜々美には光塚に入るという夢がある。8話ではWUG!を止めて光塚受験に向かうということがこの話では描かれた。結局は光塚受験よりもWUG!を優先することになるのが、ここらへんの決意の理由はなあなあとなった。9話の終わりにて、突然光塚受験を諦めるというシーンが唐突に描かれた。これが尺の都合でなくてなんなのか。前述のキャラ設定もそうだが、TVシリーズにおいて久海菜々美は不遇であったと思う。

WUG! におけるI-1club

長々とWUG!の悪い点を書いてきたが、改めて言うが私はWUG!の信者である。では、WUG!の良さとは何なのか。私は〝超えられない壁の存在〟であると思う。アイドルアニメに限らず、ライバルや目標となる存在は、物語において重要である。ストーリーのない所謂日常系アニメと呼ばれるものでなければ、必ずこれらのキャラは出てくることだろう。「THE IDOLM@STER」では961プロ、「アイカツ!」では神崎美月がそれに当たるだろう。アイマスアイカツ!もそうであるが、物語の終盤では主人公はライバルや目標となる存在を超えることになる。
では、WUG!はどうだったか。WUG!におけるそれは、I-1clubだ。TVシリーズも後半になれば、WUG!の打倒I-1clubの構図は色濃くなる。結局WUG!はアイドルの祭典で優勝すること無く、物語に幕を閉じた。だが、仮にアイドルの祭典で優勝したとして、I-1clubに追いついたと言えるのだろうか。WUG!の世界において、I-1clubの存在は圧倒的である。元I-1clubの島田真夢を通して、それは否応なしに伝わってくる。TVシリーズ最終話で、WUG!は大手レコード会社から連絡を受ける。これは、物語の中において、WUG!の知名度及び期待度が高まったことを示している。ではこれは、I-1clubに追いついたと言っていいのか。そうではないと思う。スタートラインに立ったにすぎない。劇場版とTVシリーズ12話分を通して、I-1clubと同じ土俵に漸く立てたのだ。WUG!ではI-1clubに勝たせなかったのだ。超えられない壁としてのI-1club。これこそが、WUG!の良さであり、WUG!がWUG!たる所以であろう。では、劇場版及びTVシリーズでの彼女らの努力は無駄だったのだろうか。そうではない。勝てなかったからこそ、彼女らの努力に意味があるのだ。

アイマスという存在

近年のアイドルアニメとして、アイマスを避けて通ることはできないだろう。私が友人にWUG!の素晴らしさを語る度に、アイマスを観てないからそんなことを言えるのだと言われ続けた。これを書く数ヶ月前、漸くアイマスを観た。最初に感想を言うと中弛みはあるが、非常に面白かった。だが、WUG!と比較してどちらがという話ではない。WUG!にはWUG!の、アイマスにはアイマスの良さがある。
アイマスの良さは何か。こう問われて、私がぱっと思いつくのは二つある。一つは天海春香の科白である「後ろの席までちゃーんと見えてるからねー」だ。この科白が初めて出たのは、何話だっただろうか。11話か12話だったと記憶している。私はこの科白を聞いた時、鳥肌が立ったのを覚えている。それぐらい、この科白のインパクトは大きかった。この科白は、彼女が子供の頃に好きだったアイドルの科白である。彼女はアイドルになり、ステージでこの科白を言うことが夢であるとも語っていた。彼女はこの科白を通してアイドルを見て、この科白を通してアイドルを見せようとしている。アイマスで描かれるアイドルがどういうものであるか。この短い科白にはそれが詰まっているのである。
1クール目終盤では星井美希が、2クール中盤では如月千早が、終盤では天海春香が壁にぶつかり、立ち止まることになる。壁にぶつかる。他のアイドルアニメでもよくある展開である。壁を乗り越える方法として多いのは、仲間やファンの存在ではないだろうか。これらを支えに壁を乗り越えるというのは感動的である。WUG!においても林田藍里や岡本美夕がこれらを支えに壁を乗り越えている。では、彼女らはどのようにしてその壁を乗り越えただろうか。仲間やファンの存在だろうか。それもある。だが、最も大きな支えとなったはアイドルが子供の頃の夢であるという点ではなかっただろうか。彼女らは壁にぶつかり、悩み苦しんでいる時に、どうしてアイドルになりたかったのかを思い出す。先の3人誰をとってもそうであった。そこは徹底しているように感じた。これがアイマスの良さの二つ目であると考えている。正直な話、24話では天海春香がジュピターのライブを見るシーンが描かれると思っていた。そのライブでのジュピターの振る舞いから、彼女は彼女にとっての仲間やファンを見つけ、壁を乗り越えるものだと。だが、実際はそんなシーンは描かれることなく、彼女はアイドルを目指す幼稚園児を見て、彼女はどうしてアイドルを目指したかを思い出し、765プロへと歩みだしたのだ。
この3人の描き方は、アイマスが夢を叶える物語であることを表していると思う。最初の方に、アイドルアニメにおいて、アイドルは「手段」ではなく「目的」であると書いた。その観点からすれば、それは当たり前のことに思える。だが、そのことを主眼に置いて描いたアイドルアニメはあっただろうか。アイドルアニメなのだから、登場人物の夢がアイドルは当たり前。だから、描くべき部分は別のとこにある。そういうものがほとんどではなかろうか。彼女らにとってアイドルは夢である。それがアイマスの核であるからこそ、彼女らは立ち止まる度に原点に帰るのである。
劇場版「THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」では、少し違っている。アイドルは彼女らの夢ではなくなっているのだ。劇場版では、アイドルは物語になっている。これは劇中の天海春香の科白から分かる。物語終盤で矢吹可奈らと一緒にアリーナに行くシーンがある。彼女はそこで言う。今私がいる場所は今までの全部で出来てるんだと。この科白は印象深かった。TVシリーズとの違いを明確に表しているようにみえるからだ。TVシリーズは夢を叶える物語であった。だが、劇場版は違う。アイドルして歩んでいく物語である。自分の夢であるアイドルとは何なのか。そのことに悩み苦しんでいるのがTVシリーズであった。だが、劇場版ではそうではない。彼女らなりのアイドル像を手に入れているのだ。つまり、劇場版は夢を叶えた後の彼女らの物語なのである。
「selector spread WIXOSS」でふたせ文緒は夢は叶え続けなくてはいけないと言った。叶えて終わりではない。叶えてからが始まりだと。劇場版アイマスは正に夢を叶え続けていく物語だ。だからこそ、天海春香のあの科白なのである。それが〝輝きの向こう側〟なのかもしれない。彼女らはアイドルになるという夢を叶え、新たなステージに旅立とうとしている。そのステージこそが、アイドルとして歩んでいくことだと思う。それはつまり、夢を叶えた後の世界だ。夢を叶え続けていくこと。それは、夢を叶えること以上に難しいことのように思える。彼女らはその道を歩む決意をしたのである。
これは劇場版アイマスアイマスアニメとしての集大成として、非常に高い完成度であることを示している。だが、私は感動を覚えながらも、同時に哀しみを覚えたのである。TVシリーズで描かれていたアイドルが彼女らの夢であるということ。アイマスアニメがこれを徹底して描いていたところに、私は惹かれたのではないだろうか。劇場版で示された輝きの向こう側は、数多のアイドルアニメでも描かれていることではないだろうか。確かに劇場版で描かれたものは、アイマスでなければ描けなかったことは間違いない。だがそれでも、アイマスアニメが数多のアイドルアニメの一つになってしまったことは否めないのではないか。そう感じてしまったから、劇場版アイマスを素直に賞賛できなかった理由かもしれない。私はそう思っている。

WUG! から見るアイドル

WUG!の新作劇場版が作製されることが2014年冬に発表された。たった30秒のトレーラーから私が感じたのは違和感だった。何度も観返して気づいた。トレーラーのWUG!は大人の女性だ。TVシリーズで感じた子供っぽさはなかった。このことに気づいた時、私が思うアイドルとは何なのかが分かった気がする。私はアイドルに詳しくはないので、現実のアイドルがどうなのかは分からないが、2次元アイドルの多くは10代の少女である。アニメで描かれる彼女らは、歳不相応だ。たかが10代のくせに無理し過ぎなのである。10代はまだまだ子供であろう。そもそも、20代前半も子供と言っても差し支えない気がする。だが、2次元アイドルは子供らしいとこを見せず、時に無茶とも取れるような無理をするのだ。背伸びをしているのだ。私はアイドルだから。ファンがいるから。そうやって、彼女らは平気で無理をするのだ。
この背伸びをしている感じこそ、私はアイドルだと思う。その背伸びがあるからこそ、時折見せる10代らしい表情に胸を打たれるのだ。彼女らが壁にぶつかった時、私ははっきりと感じるのである。どんなに凄く見えても、まだ10代の少女なのだと。この瞬間こそ、アイドルアニメである。だから私は、それが良くないことだと思いながらも、もっと無理をしろ、もっと背伸びをしろと思ってしまうのだ。まだまだ10代の少女なのにと、感情移入もしやすくなる。感動的な物語とは、ある種残酷である。
2015年1月24日に放送された「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」にゲスト出演された振付師の竹中夏海さんは、「アイドルにはヒーロー物の三大要素――不思議な出生、怪物退治、財宝獲得がある」と仰っていた。確かに納得できる話である。竹中さんは現実のアイドルについて仰っていたが、2次元アイドルにも同じことが言える考えだ。だが、これはアイドルに限らないことだと思う。流行りもの殆どにこのことは当てはまるだろう。

「ロコドル」というアイドル

2014年夏、「普通の女子高生が【ろこどる】やってみた」が放送された。ろこどるによって、ロコドルという新しいアイドルの形態が広まることとなった。地方アイドルと言えば、前述のWUG!がある。流川ガールズとWUG!、つまりロコドルと地方アイドルの違いは何なのか。それはろこどる最終話で描かれている。流川ガールズはロコドルフェスタを終え、地元の夏祭りで「ああ、流川」を歌った。夏祭りで歌うのは「魚心くんソング」でも良かったように思える。だが、「ああ、流川」を歌ったのである。ろこどるにおいて、「ああ、流川」は重要だ。「ああ、流川」はあくまでも、市の歌だ。その「ああ、流川」を持ち曲として歌えることこそが、ロコドルが地方アイドルと違う点であり、ろこどるの良さでもあるのだ。
流川ガールズは、流川市のアイドル。だからこそ、流川ガールズにとって、流川市が最も大切である。このことは、TVアニメ13話できっちりと描かれている。ラブライブ!における中心が音ノ木坂学院であるように、ろこどるにおける中心は流川市なのだ。それを最も表しているのが、夏祭りで歌った「ああ、流川」なのだ。最初に書いたように、アイドルアニメのアイドルは、「目的」ではなく「手段」。このことから、考えればろこどるはアイドルアニメではない。だが、ロコドルという存在を確立させたという点で、ろこどるは10年代アイドルアニメを語る上では外せないのである。

 

デレマスとアイカツ!

この記事を書き始めてから、「アイドルマスターシンデレラガールズ」の放送が始まった。執筆時点での放送話数は4話である。3話まで観た時点で私はアイカツ!だと思った。恥ずかしい話、私はアイカツ!を3rdシーズンからしか観ていない。なので、アイカツ!っぽいと言っても、3rdシーズンのという枕詞が付くことになるが。
デレマス1話では主人公格である島村卯月、渋谷凛、本田未央が346プロ入りする経緯が描かれ、2話では他のシンデレラプロジェクトのメンバーと3人の位置づけの説明がされた。そして、3話では3人がバックダンサーを通してアイドルの世界に触れる様子が描かれた。アイカツ!らしさを感じたのは、主人公格の3人からだ。彼女たちはアイドルではなく、まだファンなのである。それは2話でも描かれれいるし、3話でもそのことは強く描かれている。彼女たちがアイドルではなくファンであるから、3話はあのようになったのだ。
3話切りが一般的な現在、多くのアニメでは3話で大きな動きがある。奇しくもデレマス放送日の数日前に放送された某アニメも3話で大きな動きがあった。デレマス3話がライブ回であることは、次回予告から分かっていたので、デレマスでも大きな動き、つまりライブで失敗するのではと騒がれていた。だが実際には、そんなことはなく、彼女たちは何の問題もなく踊りきった。それは彼女たちがファンであるからだ。ライブは楽しい。この楽しさをもう一度味わいたい。アイドルになりたい。そういう風に彼女たちが思うために、ライブの成功という演出になったのではないか。私はそう思っている。
アイカツ!の大空あかり、氷上スミレ、新条ひなきの3人もアイドルらしさは薄く、ファンであるほうがしっくりくる。それは114話で印象的に描かれている。114話はクリスマス回であり、大空あかりはクリスマスツリー用として樅の木を切った。1年前のクリスマスでは、彼女が憧れる星宮いちごも同じように樅の木を切っていて、114話での彼女の行為は星宮いちごの真似のなのである。このことは劇中でも描かれており、紅林珠璃の科白から分かる。友だちのために切った星宮いちごに対し、憧れるアイドルの真似事として切った大空あかり。この対比がアイカツ!3rdシーズンであり、3人がまだまだファンにすぎないことを表している。
しかし、117話あたりから流れが変わりつつある。ファンであった彼女たちがアイドルになりかけてきた。これからが楽しみである。彼女たちがどうアイドルになっていくのか。つい期待してしまう。ついこの前放送されたデレマス4話も期待したくなるような話だった。まさに物語が始まるといった感じだった。3話にてアイドルの楽しさを知った3人がどういう風に歩いて行くのか。楽しみにならざるを得ない。

アニメは面白いよ

一番初めにも書いたが、私はアニメを観始めて4年も経っていないのだ。観ていないアニメもまだまだたくさんある。この文章で触れたアニメもまだ1回しか観ておらず、うろ覚えで書いた部分も多々ある。だから、ずれていると感じるところもあるかも知れない。だが、それでもはっきりしてることはアニメは面白いってことだ。こんな駄文をだらだら書いてしまうくらいには面白い。それが伝われば、書いた甲斐があるというものだ。

 

冒頭に、Tumblrに投稿したものを、私なりに気に食わない点を修正したものだと書いた。気に食わない点は幾つかあったが、ろこどるの話が最も気に食わない箇所で、ここを修正したかった。結局、私の実力不足で修正することが出来ず、デレマスの話を加筆しただけになってしまった。

 

過去記事

私的10年代アイドルアニメ論 - tanaca

前回の記事の補足を兼ねた「艦これ」4話までの感想

艦これ」アニメも4話が放送されたので、前回の記事の補足を兼ねて感想をつらつらと書いていく。流石に前回のは酷かったので……。

ネタキャラと化した金剛姉妹

先ずは4話の感想をさらっと書いておこう。4話では金剛姉妹がメインで描かれた。金剛姉妹は戦場で頼れるお姉さん枠かと思いきや、完全なるネタ枠だった。前回までの話を思えば、2次創作を拾っていたので、こんなキャラになるとは想像だにしなかったが、「提督を映さない」という演出なので、こうなっても仕方ないかもしれない。「2次創作を参考にする演出」と「提督を映さない演出」の不協和音という新しい一面が味わえた回だった。

ゲームの科白を喋る艦娘

4話でも艦娘はゲームの科白をこれでもかと喋っていた。ここまでくると、この演出は運営側からの要望だと思われる。ゲームの科白を喋る艦娘がでてきた時、視聴者はどう思うだろうか。ブラウザゲーム艦これ」が本当にアニメになったんだと感慨深くなるかもしれない。原作ネタを入れるのはよくあることだ。だが、配分というものがある。

艦これ」アニメでは喋らせすぎている。艦これアニメの場合、これが通用するのは1話の冒頭ぐらいだろう。「艦これ」アニメでのゲーム科白の多様は、キャラの描き方の雑さを浮き立たせている。いや、これが運営からの要望だと考えると、アニメ制作スタッフの苦悩が見える。あくまでも推測でしかないが、運営側もこんな風になるとは思っていなかっただろう。「たくさんの艦娘がでて、彼女たちがゲームの科白を喋ったらきっと嬉しいですよね」。これぐらいの軽い感じだったと思う。だが、スタッフ側は何とかゲームの科白を喋らせようとしただろう。その結果があれだ。そう思い観ると悲しくなってくる。(でも、金剛のMVP科白を吹雪に向けて喋るのはどうかと思うぞ)

艦これアニメはラブライブ!

4話まで観て「艦これ」アニメは「ラブライブ!」だなと感じた。

ラブライブ!」はキャラアニメであり、ストーリーははっきり言ってない。なので、ストーリーを目当てに観ると耐えられない。「ラブライブ!」はあくまでもキャラを愛でるアニメだ。ストーリーは気にしてはいけない。言い換えれば、好きな娘がいなければ、観ることは出来ないだろう。

艦これ」アニメもそういうところがある。まだ4話なのでなんとも言えないが、キャラアニメの様相を呈している。ストーリーではなく、キャラ一人ひとりに注目して観ると、かなり出来が良いことが分かると思う。しっかりとキャラを立てているのだ。それだけに、ゲームの科白が痛い。この科白一つで全てが台無しになっている印象さえ受ける。

終わりに

終わってみると、前回書いたものより酷くなってしまった。取り急ぎ書いたからということで許してほしい。

前回の記事

「艦これ」アニメ 3話時点でのなんとやら - 画面のこちら側