画面のこちら側

取り敢えず色々手を出してみる

ごめんねWUG! -「Wake Up, Girls! 新章」の感想みたいななにか-

WUG!新章が終わったので感想のような何かをだらだら書いていこうかなって思う。

続・劇場版の感想も前後編とともに書いたし、そもそもはてブ自体WUG!について語りたって思って始めたわけだし。

 

各話ごとのなんとやら

WUG!新章は2017年10月より放送された1クールアニメである。アニメーション制作がミルパンセに変更され、監督を含め制作スタッフが大幅に変更された。ライブシーンも3DCGによるものとなるなど、今までのWUG!とは大きく変わったことになる。このことに限らず、新章全体に通して名前を出してはいけないあの人を筆頭になんやかんや騒いでるようだが(新章第1話放送時にcasまでやって)、あんたはたつき監督にはなれないんだから、大人しくしていて欲しいなとは思う。

「私たち、Wake Up Girls!でーす!」

島田真夢によるお決まりの誰かを幸せにできるには云々から始まった第1話。3つ目を言わないのは最終話で言う気だからだろうな。物語は2015年アイドルの祭典で優勝した2年後を描いている。WUGはその波に乗り東京進出したもののという感じで鳴かず飛ばずのようだ(仙台ローカルで冠番組持ってるくせに贅沢言い過ぎである)。2015年に優勝したのにその後あまりパッとしないとかどこかのプロ野球チームを思い出しますね(白目)。WUG!に限らずアイドル業界は暗雲立ち込めており、I-1の仙台シアターは閉鎖され、シングルの売上を見ても不景気の波が押し寄せていた。

さて、WUG!は今回ファーストアルバムを出すことになる。最初の空白の2年間のあらすじ的なとこを見ると、東京進出はしているようだが楽曲を出している様子は見当たらない。作中だけで言えばフルアルバムをだせるようには見えないのだが……? その販促の布石として丹下社長の号令の下、○ステに出ることとなる。その時の衣装候補として出てきたのが極上スマイルの時の衣装……。やっぱり、新曲出してないだろ。そう、思わざるを得ない描写である。流石にということで衣装は新調することになったが、古い衣装で七瀬佳乃がシュシュを作ることになる。グループアイドルにとっておそろいのアイテムは外せない存在なのだが、苦労しながら夜なべして作っている描写にドジっ娘よっぴー(キャスト談)を思い出しホロリときた。

場面は代わりTV収録となるわけだが、久々だからかTV慣れしていないからか残念なことになるWUG。しかし、問題はそこではない。歌った曲が「7 Gilrs War」。作中の時系列で言えば3年も前の曲である。せめて、Beyond the Bottomではいけなかったのか。インディーズ曲ではないからか……? 3年も前の曲を歌うとか、なんで呼ばれたんだお前らは。

対するI-1はというと、こっちもこっちで酷い。披露した楽曲は「止まらない未来」。2年前の曲である。舐めてるのか。鳴かず飛ばずのWUGはまだしも、I-1は押しも押されもせぬトップアイドルである。新曲がないわけがない(実際、新曲があような描写は出てくる)。なぜ、歌わないのか。製作の都合でという言い訳はなしでお願いしたい。
肝心のライブシーンについて触れていなかった。今回の目玉の3DCGはちゃんと動いてる。ただ、不気味の谷を超えてない気がする。多分だが顔に比べて全体的に細すぎるんじゃないかと思う。新しくなったキャラデザに寄せているんだろうが、動かすと気持ち悪さというか違和感が拭いきれない。

○ステでの失態で自信をなくしたWUGだが、爪痕ぐらいは残せたんじゃないかと楽観的な部分もあった(マネージャーの松田も含め)。しかし、丹下社長は容赦ない。インディーズで仙台ローカルのアイドルの知名度なんてあるわけがないというわけだ。メジャーデビューしてなかったけ? あの話はどうなったんだっけ?しかしやることも夢も大きいのが丹下社長。ファーストアルバム引っさげ初の全国ツアーと洒落込むことを計画する。続・劇場版で路上ライブとは言え全国ツアーやったじゃないか。ファイナルは地元・仙台スタジアム。それに驚くWUG(と松田)で第1話は終わる。ここで疑問なのだが、仙台ローカルのインディーズのくせに仙台スタジアムを抑えられるものなのだろうか。仙台スタジアム(笑)なのか社長の政治力の賜物か。こればかりはまだ分からない。

大田邦良「訳ありでソースは出せないのだが、男鹿なまはげは解散。赤味噌は存続の危機」

アイドル業界の不況を表した一面ではあったが、TVシリーズといい劇場版といい、相変わらず雑な扱いである。

「ここが私たちのホーム」

懐かしきWUGワゴン。お前生きていたのか……。

そんな想いとともに始まった第2話。全国ツアーに向けて共同生活することになったWUG。煙草の煙と燻らせながら語る丹下社長だが、タバコのヤニを外に捨てるなと言いたい。

話は共同生活に戻り、引越し作業をする様子が描かれる。大家さんが挨拶に来てくれるのだが、大家さんが話してる最中にポーズをとる菊間夏夜。それが人の話を聞く態度か! 久海菜々美は仲間外れになるのが嫌で親を説得したことをみんなから誂われるが、年頃の女の子が一人暮らしするより事務所預かりで共同生活の方が親御さんとしては安心だと思う。更には島田真夢が絶望的に料理ができないことが明かされるなど、WUGの年相応の女の子らしさが描写される起爆剤となりそうな共同生活である。

一方、事務所では丹下社長がWUGを売り出すためにソロで売り出そうとする。一芸アイドルは長生きしないって教わらなかったか? その第一弾として片山実波と菊間夏夜を料理番組へと送り込む。みにゃみ、ガルウィングはやめろ。血の雨がふるぞ。前回の○ステでもそうなのだが全体的にど下手な司会者しかでてこない。TVに対する偏見というか恨みを感じてしまう。何? きみらはTVに親でも殺されたの?

菊間夏夜の元ヤンらしさが出てなんだかんだ受けたが、WUGにはまたも壁が立ちはだかる。Vドルである。早坂情○大陸デビュー。ドヤ顔で語る。あの早坂相が楽曲提供をすることで大きな注目をあつめたのとことだが、今更Vドルって……。時代遅れにも程があると思う。時代はヴァーチャルYouTuberだぞ!放送当時はそうでもなかったが、その後のヴァーチャルYouTuberの大ヒットを見ると先見の明はあったのかも知れない……?

割り箸を割る描写で場転をするという上手い描写でVドルの話は終わり、また菊間夏夜の話に戻る。前回の料理番組が受け、次々にオファーが来る様になった菊間夏夜だが、その影響で太ってしまう。アイドルとして、そして啖呵を切った手前、一人で抱え込んでしまう菊間夏夜だったが、なんだかんだで開き直りあっさり一件落着。片山実波は嫌われたのではないかと不安になったり、かやたんは食べても太らないみにゃみのことを嫌ってるぞこっそりランニングをしたりだとか、アイドルアニメらしい描写だったなと思う。ただ、本当に痩せたいならランニングじゃなくて筋トレがいいらしい。ダイエットのために筋トレをするアイドルが観てみたい。

林鼓子「ねぇねぇ、二人は仙台の名物と言ったら何が好き?」

ぼくは仙台名物ならせり鍋が一番好きですね。

「ポニーテールは本体です」

松田ぁ! 所属アイドルに書類整理手伝わせんな!

次々と活動先が決まる面々。それに向けどこかズレたトレーニングをする様子が描かれる。あめんぼあかいな云々は滑舌のトレーニングだったけな……。声を出すとか腹式呼吸のトレーニングだったと思うぞ。

まずは、久海菜々美と岡本未夕である。二人はいちごちゃんやLuminousもでたことで有名なトーク番組にでる。しかし、二人は司会者の某芸人の酷すぎるフリに対応できずカットされてしまう。対する相沢菜野花はしっかりと対応し、トップアイドルとしての貫禄を見せつける結果となった。しかし、鈴木萌歌もそうだったが、新章とそれ以前とでキャラが大きく変わった印象を受ける。確かに相沢菜野花はへっぽこ番長と呼ばれてはいたが、眼鏡がないと生きていけないんですぅ~などいった頭の悪そうなことは言わなかったはずだ。鈴木萌歌はもっと酷い。彼女はプライドと自信の化身である芯のある女の子だった。だが、今回はどうだ。ただの小生意気なガキだ。ただ、この二人は以前から出番が少ない。ぼくが勝手にイメージを作り上げているだけという可能性もある。しかし、この違和感は次第に大きくなっていく。

ぼくらの主人公林田藍里は仙台ローカルのニュース番組の位置コーナーを、七瀬佳乃はモデルの仕事を始める。仙台ローカルでモデルやってた設定はまだ生きてたんだな。でも、あの頃の尖ったナイフみたに気高く輝いていただったよっぴーはもういない……。

しかし、方々でアイドルらしさを求められ困惑する。先の二人も相まって、アイドルという仕事に戸惑うWUG。東京で生きていけなかった地方アイドルらしさが滲み出たが、さすがの行動力である。ふっきって思い思いの活動を始める。菊間夏夜はブログを、岡本未夕は配信をと行ったように。今更生主かよ。だから今はYouTuberなんだって。全体的に古いぞ。この行動力の高さ、切り替えの早さは丹下社長の愛弟子と言った感じであり、ぼくも見習って行きたいなと思う。

番組出演でもらしさ全開で挑む。ニュース番組にはシャーク林田が現れ、3年前にあれで天気予報とかやってたじゃねーか。今更何驚いてるんだよ。料理番組ではうんめーにゃを民謡調で表すなど、みにゃみの民謡上手い設定も生きていたのか。おばあちゃんも草葉の陰で喜んでいるぞ。新たな一面をだし着々と存在感を増していく。

「美味しい時はうんめーにゃー!」

その異端さもありなかなか仕事が決まらない島田真夢だったが、岩崎志保とのW主演でドラマが決まる。島田真夢は女バスのエース。岩崎志保は美術部員の約であり、どちらも想い人が一緒になる。事故により二人して予知夢を見ることとなり、想い人が被ってしまうのだが、どこぞの司令官を思い出してしまう。無難に上手い絵を描くも、普通すぎて差し替えになる描写が入るなど、これまで多くを語られなかった岩崎志保の露出が増えるのは素直に嬉しい。制作記者会見ではI-1の元センターが主演とあって、かなり意地の悪い質問が飛ぶが、さすがはI-1の伝説的センターに絶対的センター。しっかりと芯の通った受け答えであった。I-1が二人が以下に厳しい環境化を戦ってきたかが分かる。なんだかんだ岩崎志保が博多にネクストストームに愛情を持っていたのが嬉しかった。

順調に進んでいた撮影だったが、突然問題が降ってくる。3代目センター鈴木萌歌の骨折。その穴を埋めるかのように岩崎志保をI-1に復帰させる。だが、以前の白木さんならここで岩崎志保を呼び戻すことをしただろうか。ステージから奈落に落ちるというらしくないことをした鈴木萌歌がセンター失格は分かる(作中の言葉を借りれば運もセンターには必要)。しかし、岩崎志保もセンター失格を押された身である。売上という実力で帰ってきたなら分かるが、ネクストストームは決して順調ではない。それどころか、地方アイドルとしもあんまりである。白木さんはアイドルに対してかなり厳しいものを強いている。だからこそ、トップアイドルを育て上げられたし、彼女らもついてきたのだ。そんな彼がなんにも成せていない岩崎志保を呼び戻すだろうか。前述したが、新章では今までの積み上げてきたキャライメージからズレているとう言うか、ぶち壊している。そんな印象を受ける。

さて、舞台はドラマの撮影に移る。ここらへんから止め画が多くなる。画が動いていないのである。スタッフがとても苦労しているのが伝わってくる。現場はとても甘いらしく、エキストラに参加した新キャラの3人、特に速志歩はエキストラとして失格と言ってもいいことをしていたのにも関わらず、スタッフからの怒声は一切なかった。甘い現場である。神対応をする主演の二人に、というか島田真夢の対応にWUGへの憧れを強める速志歩。画がまともに動いてなかったのも相まって、とても雑に見える描写である。自分たちの背中を追ってアイドルになった娘たちが出てくるというのはアイドルアニメとしてとても重要な話だ。彼女たちの存在がアイドルを輝きの向こう側に連れて行ってくれる。ぼくはそう思っているからだ。だからこそ、丁寧に書いて欲しいのにこの雑さである。怒りが収まらない。

これに限らず全体的に雑である。例えば、I-1のシングル曲の売上の方向がなされるシーンだ。売上を表した棒グラフには16th17thシングルの売上は乗っていない。しかも、ドラマタイアップである新曲の一つ前の曲は続・劇場版での曲だ。Sステでもそうであったが空白の2年間を作中でも空白にしてどうする。そういった細かい所にこそ力をいれないでどうする。雑に描き過ぎである。アニメとは言え、作中では普通に生活があるんだ。ちゃんと生活を感じさせてくれ。作り物感を出しては創作物の敗北だ。

女子高生「肩コリの話とかしないの?」

岡本未夕がドラマの撮影で疲れている島田真夢の肩を揉んでいるシーンでその豊満なものが見えた時、ふと頭に天然な女子高生の声が響いた。

「同じ夢を見てる」

W主演が元I-1センターのドラマの主題歌を歌うことになったI-1。とても屈辱的だと思うが、それをおくびにも出すことなくSステで披露する。小早川ティナは初科白なのに背景が喋っていて、毎回毎回扱いが悪くて泣ける。さて、肝心のI-1の新曲だが、シルエットで全く映らない。こういうところに3DCGモデルが作れませんでしたが滲み出る。

順調に進んでいるドラマの撮影の合間を縫って、博多に帰還した岩崎志保。そんな彼女を笑顔で迎えるネクストストームの3人。志保さんが帰ってきて嬉しいだのなんだのを言っているところに、アイドルとしての一つの道の答えを見た。当たり前だが、岩崎志保が抜けていた間のライブの入りは悪かった。I-1の現状を知っているだけに、心配する岩崎志保に対し、ネクストストームの3人は志保さんが帰ってきてくれたから大丈夫だと返す。大丈夫じゃねーだろ。自尊心はないのか。それでも、アイドルかよ。

???「ネクストストームは岩崎志保ありきのユニットなんだよ」

もっと頑張れ。岩崎志保という絶対的センターの背中を見て育った娘たちがこれでは悲しくなってくる。

話はI-1に移る。業績悪化を受け、地方シアターを次々に閉鎖することになる。地方シアターと掛け持ちの娘がいたり、新潟にもシアターあったりと、そう言えばあのグループアイドルがモデルだったなと思い出す。この時、東北地方を映さなかったのは采配か偶然か……。偶然だろうな。地方シアター閉鎖で悲しんだり動揺したりと、完璧超人の集まりだったI-1にボロが出始める。新章のI-1は良く言えば非常に人間的であり、年相応の女の子である。しかし、だ。早坂相が来たぐらいでレッスンを止めるのはどうなんだ。今までのI-1ならそんなことはしなかったはずだろ。厳しいレッスンに裏打ちされたプロ意識。これがI-1だったはず。

そして今度はWUGに話が移るのだが、背景が喋りだす悪夢がまた始まる。冒頭のダンスシーンと言い、明らかに間に合っていない。1ヶ月くらい休んだほうが幸せになるのではと思うが、名前を出してはいけないあの人がやらなかった総集編を今回のスタッフが挟むわけもなく……。話はそれたがここ最近の活動で獲得したファンをガッチリ掴もうとバスツアーを計画する。アイドル……バスツアー……。うっ、頭が……。仙台を1泊2日で回るそうなのだが、泊で行くほど仙台市内に観光地はないだろと思う。

そして、VドルマキナXがメジャーデビューすることが決まる。それぞれのアイドルに転換点が訪れている話だったのだが、現場が追いついてこないので、もうどうでもいい。

「1人でもWUG!7人でもWUG!」

バスツアーが始まる。弱小事務所のくせにバス2台を貸し切り、ついでに八木山動物公園秋保温泉の旅館をも借りるという大勝負にでる。しかし、新章では上田麗奈さんが取り敢えずたくさん出てくる。上田麗奈の便利屋感が本当にすごい。困ったら上田麗奈。困ってなくても上田麗奈。西海岸のとある野球チームに移籍した某投手みたいな扱いである。

WUG一行は八木山動物公園に移動する。仕事が押して片山実波が参加できない中、WUGメンバーを捕まえて云々という企画物AVみたいなイベントで盛り上がる。そして、一行は今夜のお宿・秋保グランドホテルに。

この回は端的に言って酷かった。特に秋保グランドホテル以降は酷さが加速する。作画崩壊はWUG!の伝統。そう思っていても、これは耐えられない。ネタにされていたTV版を遥かに超えていく。背景が喋りだす。それはもう凄いくらいに。ここまでくれば背景も止め画にすればいいのに、なんだかんだ動くもんだから、観ていて気持ち悪くなる。

そうは言っても話は進み、宴会場でお待ちかねのライブとなる。ここで6話にして新章初のいくぞがんばっぺなんとやらがでてくる。そうまで引っ張った意味はなんなんだ。しかし、片山実波まだ来ない。仕方なく6人でライブを始めるが、ファンクラブイベントに参加するような熱心なファンは納得がいかず、イマイチ盛り上がりに欠ける。そこで、久海菜々美の提案でトラの着ぐるみ(片山実波の担当はトラ)を着て、片山実波のパートを踊ればファンも喜んでくれるのでは、と。

ファンへの冒涜だ。ふざけた話である。しかし、誰も反対はしない。お前らもプロなら賛同するな。

ぼくが怒ったところでアニメの内容が変わるはずもなく、ワグ・ズーズーを歌う。ライブシーンは久々の3DCGなので、とても綺麗に動く。サビに入ろうかというところで、久海菜々美が狼の着ぐるみからトラの着ぐるみに着替えるのだが、どう見ても観客から丸見えである。着ぐるみとは言え、アイドルがライブで使うものだ。もちろん、顔が出てる。なのにも関わらず誰も気づかない。ファン失格だろ。担当アイドルを着ぐるみで判断してるのか。ライブ会場なら証明の力でなとかなるかもしれないが、ここはあくまでもホテルの宴会場である。そんな豪華な設備はない。そして、転んで中の人がバレる失態。普通なら暴動が起きてもおかしくない状況だが、ファンは爆笑の渦。ななみん可愛い。ファンになりそうの一言も聞こえる。お花畑な温かい観客に感謝がつきない。

片山実波も合流し、無事にライブも終わる。速志歩はWUGとの交流の楽しかった思い出を振り返りながら歩いていると、扉が開いた部屋を見つける。隙間から見えるのはWUGの着ぐるみである。興奮のあまり部屋へと入っていく速志歩ふぁが、楽屋代わりに使ってる部屋の扉が開いてるからって入るか普通。人としてもそうだが、ファンとしてもやってはいけない行為だろ。憧れの島田真夢が着ていた着ぐるみに目を輝かせていると、不審に思った島田真夢が部屋に入ってくる。

ここから先は本当に酷かった。それはもう、こんなものを放送するなと思うぐらいに。

速志歩はとっさに着ぐるみに入って隠れるが、島田真夢は見事にこけ持っていたトマトジュースをしろくまの着ぐるみ(担当は七瀬佳乃)にこぼしてしまう。直後にやってきた岡本未夕も加わり、温泉で着ぐるみ洗うことになる。なぜバレない。なぜ温泉で洗おうとする。大事な衣装を汚してしまったのだから、まずは丹下社長か松田さんに連絡するのが筋であろう。業界に長くいる島田真夢がその筆頭だと言うのもおかしい。それにだ。大浴場に持っていくというのもどうか。公共の場所である。そこに着ぐるみを持って洗うなどというのは常識の欠片もない。せめて、ホテルの支配人や従業員に一言断れよと思う。温泉でのシーンも酷い。なぜバレない。とても寒いシーンである。これで笑いを取ろうとでもしていたと言うなら、本当にどうかしてると思う。

繰り返しになるが、この回はスタッフの限界がピークだったと思う。このシーンでも背景が喋りだす上に、背景がズームしたりちょこちょこ入れ替わる。そんなもんだから、どこぞの動画サイトにアップロードされた違法動画を彷彿とさせる。

温泉でのやりとりも適当に部屋でくつろぐWUGメンバー。ファンのひとも喜んでくれたし。私たちも力を貰えたしで、バスツアーやってよかったねと、あんなことさえなかったら普通に良いシーンだったなと思う。そして、突然呟く島田真夢。ぽえみーまゆしぃ再び。

七瀬佳乃「全員揃ったところでとびっきりのニュースがあります。皆さんに一番に伝えたかったんです。」

メンバーの結婚かな?

「特別編 わぐばん!新章」

dアニメストアでは配信されない。今の居住地域をなんだかんだ気に入っていたが、関東地方を離れたことを後悔したのは初めてだった。

「キツい時ほど笑ってナンボ」

I-1に大きな波が押し寄せる。鈴木萌歌センター降格。近藤麻衣キャプテン降格。吉川愛新キャプテン。いとも簡単に崩れていくI-1。この辺りは悲しかった。ぼくはI-1に夢を見ていたんだ。そう思った。

アイドルになりたい思いを捨てられない速志歩は守島音芽と阿津木いつかを誘い、グリーンリーヴスにアイドルやらせて下さいと直談判にいく。当たり前のように断られる3人だが、松田さんが抱えていたチラシの山を目ざとく見つける。松田ぁ! チラシ配りを一般人にやらせてんじゃんねーよ!

無謀にも仙台駅西口にチラシ配りに行く3人。チラシを一枚も配ることが出来ずに帰ってきた女子中学生に丹下社長は厳しく言い放つ。笑顔が上手く出来ずにアイドルが務まるか。きつい時こそ笑えとは剣道部時代を思い出すな(遠い目。

笑顔という大事なことに気がついた3人はめげずにチラシ配りを続ける。なんとかチラシを配れた3人だが、意外とビッグマウスである。WUGにはなかった一面だ。そして、またまた上田麗奈チラシを完パケさせたことを武器にまたもや直訴に行く3人に根参った丹下社長がオーディションをする。結果はまぁあれでしたが、島田真夢の寛大な心と鶴の一声で研究生扱いでアイドルになることができた。チラシ配りの様子を見て、吾妻橋の頃のI-1を思い出したからだと言う。ここだけは汚すんじゃねーぞ。

なんだかんだ連絡を取り合ってる島田真夢と岩崎志保。博多で楽しくやっている岩崎志保に白木さんから連絡が来る。東京に戻ってこい。だから、白木さんは戻ってこいなんて言わねーよ。所属アイドルと連絡なんか取らねーよ。

大田邦良「アイドルとファンの間にあるステージという境界線は決して超えないこと」

誰かさんに聞かしたい至言である。

「進んでるって信じて」

ファーストアルバム、そして全国ツアーに向けて電車内広告を打つ。全国ツアーといい、バスツアーといい、広告費といい、相当な大金を積み込んでいる。これでコケたら倒産だろう。大きな博打である。

ファーストアルバムと全国ツアーの目玉に描き下ろし曲を早坂相に連絡を取っているファ、なかなか連絡をくれないツンデレ早坂相。I-1といいWUGといい、早坂頼みから卒業しろと言いたくなる。

RGRに対し姑とかした社長。それを横目に全国ツアーの内容を考えるWUG。お芝居を入れたいとか思い出したかのようにハイパーリンクをいれてくる。そこへ珍しく仕事を撮ってきた松田さんが飛び込んでくる。NYAONの仙台ローカルCMだそうだ。思い出したかのようなハイパーリンク。そして、チャリティコンサートを開くという。思い出したかのようなハイパーリンク

対するI-1では新キャプテンとなった吉川愛がその重圧に耐えきれずにいた。レッスン後にアイコンタクトで岩崎志保を呼ぶ白木さん。それに答える岩崎志保。そういう関係?博多シアター閉鎖にネクストストーム解散を告げられる。売れないままではと告げる白木さんだが、岩崎志保を戻すという結論は変わらない。鈴木萌歌とのセンター争いに破れ、左遷された地でも成果を見せることができなかった岩崎志保をI-1に戻すだろうか。戻すならI-3ではないか。そう思えてならない。

天下のI-1がこうならWUGもである。ファイナルライブのチケ売上が芳しくない。京進出に失敗したしがない地方アイドルが仙台以外のドームをSOLD OUTさせてる時点で十分凄いと思うが、地元仙台での売上が芳しくないことを心配するアイドル。松田ぁ! 所属アイドルに余計な心配させるな!悩んだWUGは自分たちでできることをやっていこうと奮起する。菊間夏夜のいいじゃん、やろうよが遂にでる。

まずはNYAONのCMイベントに来た人をファンにしようと精一杯踊るが、イベント来てスマホを見てるという何しに来たんだという男性を見つけ絶望する。CMを観てファンになるってよっぽど可愛くないと難しいので致し方ないと思うが、大きなショックを受ける。やはり、最強のツンデレワグナー早坂。相応しくない歌詞だったら没収だぞはーとと条件をつけているが、なんやかんやで楽曲を提供してあげることなる。

しかし、作詞という初めての経験に戸惑うWUG。前回喧嘩してる?っていうアドバイスをしてくださった頼れるTwinkle姐さんも大したアドバイスをくれることなく、更に瞑想していくWUG。

そして、早坂がVドルのために渡米した。

「WUG!と言えば・・・・・・?」

ソロ活動が忙しくなり全体レッスンに集まれなくなるWUG。社会人の基本はホウレンソウだぞ。不穏な空気が流れ始める中、またまた、WUGらしさについて悩む彼女ら。続・劇場版で通った道をまたもや通ることになる。

そんな悩みはメンバー間の軋轢を生む。ハモリパートで主旋律を片山実波にとられる久海菜々美は、せっかくとった歌のお姉さんのしごとも上手くいかない。対する片山実波は絶好調で、その天真爛漫さをと歳が近いこともあり、喧嘩になる二人。

対するI-1では鈴木萌歌が何の脈絡もなく新ユニットに落選する。更に白木さんは集客力のないアイドルの祭典を切り、全国ツアーを開催することを宣言する。直前の開催宣言にも関わらず、アイドルの祭典よりチケットが売れると判断したのはI-1のなせる技なのだろうか。I-1の相談役と化した島田真夢に岩崎志保が弱音を吐く。劇場版で「アイドルが楽しいって真夢が言ってた気持ちが分かった」と曰わった岩崎志保も新章では「真夢がI-1やめた気持ちが分かった」である。

話はWUGに戻る。タチアガレ荘と名付けていたことが判明した家の掃除は、岡本未夕曰く仕事もなく暇な林田藍里が一人でやっていた。このままではとRGRの3人がお掃除をしにいくこととなる。ボードを何の確認もなく消すマイペースな阿津木いつかが映ったりするが、初めてできた後輩に嬉しさを隠せないWUGがそこにはいた。

ドラマ関連番組収録のため東京に言っていた島田真夢が、新幹線に乗り遅れたと全体練習に遅刻する。納得がいかない七瀬佳乃はその理由を追求するが黙秘権を行使する。泣きっ面になんとやらで、焦ってシュシュをなくしてしまう。これが拍車をかけ、二人のなかは険悪ムードになる。もう一組喧嘩していた二人がいたが、冒頭以外ではこれっぽちも触れられない。チームの軋轢を仕事に持ち込む七瀬佳乃だったが、吉川愛は持ち込むことなく仕事をこなし、トップアイドルとしての実力が垣間見えた。

キャプテン同士(正確には七瀬佳乃はリーダーだが)話を交わす二人だったが、吉川愛の何気ない一言で真実を知る七瀬佳乃。真実を知った七瀬佳乃は島田真夢を追求するが、不倫を疑う彼女と追求される彼氏にしか見えなかった。なんやかんやでシュシュも見つかり仲直りする二人だが、TV版では1話引っ張ったくせにあっさりと仲直りするので、チームの危機だとかWUGらしさを追求するような展開には全く見えなかった。更に冒頭以降全く触れられなかった片山実波と久海菜々美も知らぬ間に仲直りしており、全体的に雑である。チーム間でのコミュニケーション不足解消のために、交換日記という一昔前の女の子みたいなことを始める。

島田真夢「しほは昔の私。守れたい人を守れなかった」

吾妻橋の頃の話やこの頃の話が描かれることはもう一生ないだろうな。悲しくもあるが、今の現状を見るにそれが一番幸せだとも思う。

「新芽を出せ!」

開幕上田麗奈。Vドルがアメリカの大手IT企業と提携し、全米ライブを敢行することなる。ニュースキャスターはVドルがアイドル界を取る日も近いと言っていたが、無理だと思う。ぼくの勝手な偏見だがドルオタには受けないだろ。ドルオタが一番嫌いそうじゃないか。

なんとか歌詞を完成させたWUGだが。早坂は「イモはイモでいいけど」と滲み出るWUGへの愛厳しい評価を下す。ここでWUG全国ツアーの開催箇所が見られるのだが、盛岡でライブを行うようで、新潟はまだしも盛岡で……?と疑問が浮かぶ。

マキナXの披露会見後の会食で、マキナXは大成功だと大はしゃぎなIT会社社長に、早坂相は単に目新しかっただけですよと冷たい。早坂の言う通りだと思うが、これすらも分からないって大丈夫か。その程度でよく自分の会社を大企業にできたな。そして、早坂に会いたい人がいるとノートPCがでてくる。ダルマの老人である。劇場版後編でもいなかったことにされた鎌倉の老人が突然出てくると流石に驚く。

マキナXというか米大手IT会社企業のお金の力は留まることを知らず、WUGのTV出演キャンセルさせ、マキナXをねじ込むという暴挙に出る。お金の力ってしゅごい。

WUGのアンダーに言い訳ばかり言って、レッスンに加わらない研究生にイライラしたりしていると、WUGが丹下社長に宣伝のためにゲリラ路上ライブやらしてくださいと直訴する。結局君らはそこからなんだなと感慨深くなる。ビルの屋上でライブをしたり、仙台に屋上を開放してるビルなんてあったけな……?ハイパーリンクはどうした。岡本未夕が勤めていたメイド喫茶でライブをしたりと精力的に路上ライブに励む。劇場版や劇場版後編ではもっと過酷な場所でやっていたのに丸くなりやがって。LUVYAも外見が変わったなーと思っていると、岡本未夕は解散したはずの男鹿なまはげーずのチラシを見つける。なぜ秋田の地方アイドルの宣伝チラシが仙台のメイド喫茶に置いてあるのだろうか。確かに岡本未夕は私がお世話になったメイド喫茶と言っていたので、仙台にある岡本未夕が元いたメイド喫茶だと思うが(外装は違えど内装は以前のままだったと思う)……。岡本未夕は嬉しさや感動に押され、男鹿なまはげと自信の配信番組でコラボする。同じ地方アイドルとして感じるものがあるのだろう。もう少し早くこの路線を出しておいて欲しかった。

ゲリラ路上ライブなどを通してWUGらしさを掴めたWUGはあれよあれよと言う間に歌詞を完成させる。及第点だ。歌っていいよと。わざわざ電話で報告する早坂相。本当にWUG大好きなんだな。

そして、マキナX陣営による仙台スタジアム買収。TV番組の出演権どころか仙台スタジアムを買収って、米IT企業のマネーパワーの恐ろしさが止まらない。しかし、I-1ドームならまだしも、仙台という田舎のスタジアムを買収する意味はあるのだろうか。描かれていないだけど、大阪や名古屋、福岡も抑えてあるのだろうか。

「私たちにできること」

買収問題に太刀打ちできるはずもなく、仙台スタジアムでのライブが中止になる。現実だったら大問題だが、WUG(と大田)以外対して話題にしていないのはいかがなものか。

博多シアター閉鎖にネクストストーム解散が執行される。I-1に戻る岩崎志保に欠けたネクストストームメンバーの一言一言が泣ける。完全にI-1のご意見番と化した島田真夢は岩崎志保を慰めるため、吉川愛と岩崎志保に会いに行く。元カノに会いに行く彼氏とついていく彼女。何を言っても白木さんの命令は絶対だから、一度決めたことは絶対やるからの一点張りの岩崎志保。白木さんのアイドル論が正しく伝わっていないことに悲しくなるが、白木さんを説得するため島田真夢は単身彼に会いに行く。この時、丹下社長が白木さんに電話することになるのだが、ここはもう一声あっても良かった。白木さんのもとでアイドルをしていてたという設定が唐突に続・劇場版で明かされたのだから、それを活かしても良かったのではと思う。

白木さんと徹底的にアイドル論を戦わせる島田真夢だが、白木さんは意に介さない。アイドルの前に一人の人間です、WUGは7人いるから完璧なパフォーマンスができると食い下がる島田真夢。

白木徹「アイドルに必要なのは連日の徹底した努力とそれにともなうメンタル。アイドルに馴れ合いなんていらない」

白木さんはアイドルを人間として見ていないわけじゃない。あくまでも、プロとして見ているわけだ。人はアイドルに女の子らしさや可愛らしさを求めているわけじゃない。アイドルを求めている。そう、白木さんは思っている。アイドルはなるものじゃなく、作られるものだ。ぼくはそう思っている。しかし、白木さんはアイドルは作れると思っている。だからこそ、I-1を作ったのだ。そうではないのか。

島田真夢の白木さんとのバトルは週刊誌にすっぱ抜かれる。WUGは白木さんの策略だと起こり、I-1は週刊誌如きに踊らされる。ふざけた話である。あのような厳しいアイドル論を持っている白木さんが黒い芸能プロダクションのようなことをするわけがないだろう。そして、I-1である。堕ちるところまで堕ちたものである。週刊誌如きに何を騒いでいるのだ。かつての鬼軍曹近藤麻衣であったら、他のメンバーを叱っていただろう。そんな中、新キャプテン吉川愛だけは揺るがない。そうだ、それでいい。それが本来の君らの姿だろう。そんな折、I-1を脱退した岩崎志保の代わりにセンターユニットに参加する鈴木萌歌。鈴木萌歌はいつだってお下がりだ。プライドの塊たる彼女はとても悔しいだろう。それでも、鈴木萌歌は歩みを止めない。お下がりで満足する彼女ではないからだ。

ファイナル会場が中々決まらないWUGに朗報が訪れる。ファイナルの会場はなと仙台空港跡地……跡地!? いつの間に仙台空港は潰れていたのだろうか。現実とのハイパーリンクを謳っているWUG!のことだ。仙台空港閉鎖の情報でも掴んでいるだろう()。驚きを隠せないが、話は特に説明もなく進んでいく。会場作りを女子高生と女子中学生だけでやるという荒唐無稽なことをやったり、マキナXのクリスマス・イブ日本ジャックライブに対抗して同日に地方アイドルで同時ライブやろうと提案したり、と。もう、面白いくらいにぽんぽん話が進んでいく。

初めてできた後輩が可愛くて仕方がないWUGは、RGRの3人をライブに出したいという。WUGの我が儘に根参った丹下社長はTwinkle姐さんが作った楽曲を出す。前座でこれを歌えというわけだ。なんだかんだ丹下社長は甘いのである。この下りでRGRのユニット名が雑に決まり、雑に紹介されたのは酷かったと思う。アイドルにとってとても大事な自己紹介パートがあれでは、本当にアイドルアニメを作っているのか不思議に思う。そもそも、こんな終わりまで引っ張るのであれば、事前に名前なんて後悔しなければ良かったのにとすら思う。

「明るいほうへ」

開幕上田麗奈。マキタXばりの起用である。漸く始まったWUG全国ツアーファイナル公演。関係者席(笑)にはTwinkle姐さんや仮設住宅で暮らしている片山実波の祖母とそのお友達も来ており、TV版を観ていた人には懐かしい面々が観られる。おばあちゃん達設定は生きていたのか。しかし、客のみんなが薄着である。冬の仙台の寒さを舐めてはいけない。この時期の屋外ライブでその格好では死人が出てもおかしくないと思う。

前座としてでていくRGRの3人。とても緊張している様子や屋外ステージは劇場版を思い出させる。ここでぼくらの主人公林田藍里さんの成長っぷりが観られる。緊張している3人にシュシュを渡す。それが力になり……だと良かったのだが、そこに待っていたのはまた茶番だった。最終回の、最後のライブシーンの前の前座でこの茶番は流石に怒りが収まらない。ライブシーンは目玉の3DCGであり、いつだかのI-1とは違いCGモデルが間に合っていた。

RGRのライブも終わり、次はお待ちかねのWUGのライブが始まる。この時、島田真夢が速志歩の肩を叩いていく描写は良かった。ライブは七瀬佳乃の名前を出してはいけないあの人の歌詞批判から卒業生の贈る言葉が始まる。メドレー曲を流すとかアイドルらしいことやってるじゃないか。3DCGのライブは最終回だけあって力も入ってるし、相変わらず曲もいい。もう歌だけ歌ってろ。

そして、I-1である。誰よりも激しく。誰よりも美しく。誰よりも正確に。お決まりの言葉から始まるライブだが、新章のI-1を観ていると、とても空虚な響きに聞こえる。あの頃の気高かったI-1はもういない。

真のセンターを発表することになるのだが、プレゼンターはマキナXだと言う。米大手IT企業の資金力はI-1をも飲み込んでいた。真のセンターに選ばれたのは鈴木萌歌だが、彼女には喜びも何もなかった。私は誰にも負けない。そう涙した鈴木萌歌。そうだ、それでいい。それこそがI-1クラブであり、鈴木萌歌なんだ。

ここで電波ジャックが起き、全国で同時ライブをしている地方アイドルの映像が流される。普通なら暴動が起きてもおかしくないのだが、誰も気にしない。それどころか、島田真夢がよかっただの、岩崎志保が頑張っているなどがネットに書かれる始末。新章はネットやオタクがお花畑であり、TV関係者を悪意ある演出で描いている。スタッフが誰を憎んでいるか分かってしまうような描き方だ。いや、オタクはこういうのが好きでしょ?と思ってるのかもしれない。兎に角、不愉快である。

WUGやVドルのライブでは降雪と寒波でシステムがダウンする演出が始まる。意味が分からない。都内で「八甲田山死の彷徨」をやったあのアニメがマシなレヴェルである。そして、謎のジャンプ。何がしたかったのかよく分からないまま、物語はクライマックスを迎える。予想通りの島田真夢の誰かを幸せにする云々だ。

 

ぼくが愛したWUG!はもういない。

 

 島田真夢「みなさ~ん。灰になる準備はできてますか~」

スタッフもぼくも誰一人として灰になる準備は出来ていなかった。

 

ごめんねWUG!

新章は名前を出してはいけないあの人が関わっていたWUG!を断ち切るかのような作品だった。そういう意味では、正に新章という感じであろう。高校時代にギャルと付き合っていたことが判明した松田さんのあの科白もなかった。アニメ本編も秋葉原や沼津を舞台にしたあのアニメみたいであった。何もかもが今までとは違っていたのである。それがいいか悪いかはひとそれぞれであろう。しかし、そうまでして生み出したのが、こんなんではあまりにも酷い。

そもそも、Vドルを取り上げた意味は何だったのか。新章ではVドルだからこそできるものがこれっぽちも描かれていなかった。描かれていたのはバックについた企業のマネーパワーだけである。これならアジアのアイドルでもアメリカのアイドルでも良かった。莫大なお金を武器に強引な戦略なら、外タレでもいいのだ。なぜ、Vドルなのか。そこを描かなければ、何の意味もない。それどころか、ライバルとしても描かれなかった。なんとなく名前がでてきて、大した活躍もなくモブと同じ扱いである。描くべきもの描かず、どうでもいいところを描く。それでは駄目なのだ。本当にふざけている。これは本当に許せなかった。

端的に言って酷かった。それしか言えない。そんな感じだった。では、名前を出してはいけないあの人だったら、こうはならなかったのかそんなことはない。続・劇場版後編の時点でWUG!はもう終わっていたのだ。新章で息の根を止められた。WUG!の妄信的信者たるぼくだが、もうWUG!で騒ぐことはないだろう。アイマスがなんだ、WUG!が最高なんだ。それを言うためだけに、アイドルアニメを観はじめ、はてブまで始めた。だが、もう終わりだ。ついていくことはない。WUG!との決別。それが新章の最大の功績である。

今だからこそ言いたいnarcissuの魅力と感謝 -narcissuの感想みたいななにか-

みなさんは「narcissu」というノベルゲームをご存知だろうか。プレイしたことがあるだろうか。

narcissuは2005年にステージ☆ななが作成したフリーゲームだ。2007年には「narcissu Side 2nd」が制作され、2009年には「narcissu 3rd - Die Dritte welt-」が発売された。2008年にはMF文庫Jからノベライズ版が、2010年にはアライブコミックスからコミカライズ版がそれぞれ発売され、2012年にはホビックスよりPSP移植版が発売された。ファンによる英語・中国語・韓国語・タイ語翻訳版もあり、2007年には舞台化もされた。2014年4月にはPCゲームのプラットフォームであるsteamにて英語・日本語版が公開された。

そして、2015年にはAgilisさんを中心にSekai Projectによる「narcissu 10th Annivesary Project」がKickstarterで募集が始まり、「姫子エピローグ」、「ナルキッソス0(PSP版のナルキ4)」、「小さなイリス」、そして、同年に発売された新作の「ナルキッソス スミレ」が英語翻訳版としてsteamで販売された(また、PS4PSVITAにて発売が計画されているようだが、これらは北米版のみとなるのではないかと言われている)。

そう、narcissuが今再び注目されようとしているのだ。今しかないのだ。narcissuについて気持ち悪い熱い想いを語れるのは。

 

narcissuシリーズ紹介

 さて、本題(?)に入る前にnarcissuシリーズを整理しておこうと思う。あらすじと一部所感を書いていくが、私の文章力を笑いながら読んで欲しい。

narcissu

2005年に発表された記念すべき第一作。PC向けのフリーゲームであり、Nscripterという言語エンジンで作成されている(そのため、やろうと思えばAndroid端末でもできる)。

narcissuホスピスを舞台にしている。2005年冬、主人公は通称「7F」と呼ばれるホスピスに入ることになる。そこで出会った一人の少女。ーー血液型O、名前はセツミ、ビニールの認識腕輪は白。まるで達観しているかのような彼女。主人公が何を話しても素っ気ない。そんな彼女がふと言う。私は7Fも家も嫌。その言葉が引っかかていた主人公だが、父親が忘れていった車のキーを見た時、とっさにそれを掴んでいた。そして、セツミと2人、7Fから飛び出した――。
ナルキ1はざっと書けばこんな感じの物語だ。CVありとなしの2バージョンをプレイできるが、CVがあるのはセツミのみ。

narcissu Side 2nd

ナルキ1の思わぬ人気を得て2007年に作成された 第二作。ナルキ1を同梱しているので、新しく始める方はナルキ2をDLすれば問題はない。

ナルキ2はナルキ1の過去話となっており、セツミが7Fの住人になる前のお話である。1999年夏、セツミは通院先の病院で一人の女性に声をかけられる。姫子と名乗るその女性に半ば強引に7Fに連れて行かれ、良くわからないまま友達となる。7Fに通い始めたセツミは姫子から、「死ぬまでにやってみたい10のこと」の手伝いをしてほしいと頼まれる。

ナルキ2は大体このような物語である。ナルキ2は姫子(とセツミ)の物語であるが、セツミと姫子、姫子の妹である千尋とのやりとりにセツミの原点を垣間見ることができる。ナルキ1と同様にCVありとなしの2バージョンをプレイできるが、ナルキ2ではセツミ以外にも姫子、千尋、優花、女の子、そしてセツミ母にもCVがついた。また、イメージイラストがぴんさいず(MITAONSYA)さんからごとPさんに変わった。ナルキのイメージイラストはごとPさんが描いたものが最も多いので、誰もが想像するセツミが観られる。

ノベライズ版narcissu

2008年にMF文庫Jから刊行された。ナルキ1のノベライズであるが、加筆修正が行われている。旅の途中で老人宅に泊まる様子やコインランドリーでの描写に道徳的な配慮がされている。また、優花が再登場したりセツミ母の出番が大幅に増加する。そして、新キャラとして蒔絵さんなるナースが登場する。

原作者の片岡ともさんが書いているが、ノベルゲーム的な表現が多く(体言止めなど)、ノベルとしては読み辛い。また、PC版とは毛色が違うので、PC版から入った人、ノベライズ版から入った人で、多少の壁を感じるでのはとも思っている。特にノベライズ版から入った人には優花さんの登場には感動しないのではないだろうか。

narcissu 3rd - Die Dritte welt-

2009年に1500円で販売された第三作。シナリオライターが異なる4作品からなるオムニバス形式となっている。ゲーム画像が拡大し前作までの映画のような画面ではなくなったり、キャラクターデザインが緒方剛志さんに変更され、立ち絵も大幅に増加しているなど、ナルキ1,2とは趣がかなり異なっている。そのため、違和感を覚える人も少なくはない。

死神の花嫁

シナリオはごぉさん。外科(記憶が曖昧なので違うかも)に勤める主人公と同じ病院に勤める看護師の彼女を主軸に物語が進む。彼氏は優秀な医者であり、彼女も白衣の天使と称される人気者。彼女は患者からの信頼も高く、男性医師からの人気もある。また、同性の看護師からも頼りにされるなど非の打ち所がない。明るい性格の彼女だが、本心では看護師という仕事に疑問を思っていた。同時に彼も過去の医療経験から医師として、仕事を全うすることができなくなっていた。それぞれ翳りを抱きながらも同棲生活を始める二人だが、その矢先彼女が倒れ入院してしまう。

ナルキシリーズで唯一選択肢があり、二つのエンドが用意されている。ナルキ3の中で最もナルキらしい作品ではないかと思っている。要するに私がオムニバスの(シナリオが片岡ともさんではない)三作品の中で唯一面白いと思っているお話である。

- Ci - シーラスの高さへ

シナリオは酸橙ひびきさん。普通に生きていくために自分を演じ続けている二人の少年少女が主人公のお話……なのだが、申し訳ないことに何にも覚えていない。失礼を承知で書くが、もっともつまらなかったからだ。ただ、「シーラスの高さ」という科白及びタイトルは良かったと思った記憶がある。

メサイア

シナリオは早狩武志さん。問題児であり女たらしの男性患者(ワイルド系イケメン)とその担当医(良く言えば優男)の友情をテーマにしたお話。担当医は余命幾ばくもないこともあって、好き勝手やる男性患者に真摯に接し、徐々に距離を狭めていく。あまり遊びをしない担当医だが、男性患者とツーリングや温泉を通して、単に患者と医者という関係ではない、友人に彼らはなる。

その最後にはナルキ3に否定的な私もちょっと心にきた。ナルキとのクロスオーバー要素もあり、セツミと千尋さんが登場する。千尋さん大好きな私は担当医が(彼女の持ちのくせに)千尋さんをナンパしようとした時にはとてつもない怒りを覚えた。

小さなイリス

シナリオは片岡ともさん。舞台は中世であり、とある小国の第二皇女であるイリスは政治の道具として育てられ、政略結婚をさせられる。嫁いだ国では人質と言う名の王女として扱われるが、初めて自由な暮らしを体験する。だが、母国との戦争が始まることでその暮らしも終わる。イリスは幽閉され功を焦った兵士が殺しに来る日々を送る。生きるために人を殺すことしかできなかったイリスは次第に変わっていく。

生きるために人を殺すイリスと死ぬために人を殺すヨハン。人を殺すことしか知らない一人の男と、一人の小女が、夜の闇を彷徨っていく。小さなイリスは考えた。時折、挟まれるこの科白が悲しさを誘う名作である。

コミカライズ版narcissu

月刊コミックアライブに2009年から江戸屋ぽちさんにより連載された。申し訳ないことに、私は1巻しか読んでない。コミカライズ版は恋愛要素が強調されており、それはナルキではないと私は考えているからだ。だが、未読なのは良くないとも思っているので、最終巻も機会を見つけて読んでみようとは思っている。

ナルキッソス〜もしも明日があるなら〜 Portable

2012年にはホビックスより発売された。内容はナルキ1~3のリメイク、そしてナルキ4である。DX版には聖地巡礼マップ(裏面はセツミのポスター)、オフィシャルブック(設定画集や「死神の花嫁」主人公の過去編などが掲載)、予約特典として携帯クリーナーがあった。ナルキ3と同様にゲーム画像が拡大しPC版のように映画のような画面ではなくなったり、キャラクターデザインが緒方剛志さんに変更され、立ち絵も大幅に増加している。また、主人公の男性キャラにもCVが付いた(設定でONOFFが可能)。UMDディスクのロード音と科白が被ってしまい、聞き取れない科白があったり、ロードに時間がかかるなどPSPならではの問題もある。

第1章  銀のクーペ

ナルキ1のリメイク。PC版ではなく、MF文庫J版を元にしている。そのため、優花さんや蒔絵さんが登場する。男性キャラにCVが付いたことや新キャラ(MF文庫J版で登場していたとは言え)の登場もあり、セツミ母の科白にもCVが付いた(ナルキ2で既に付いていたが)。

第2章 赤いロードスター

ナルキ2のリメイク。こちらはストーリーに変更はなかったと記憶している。

最終章 DOUGHNUT

ナルキシリーズの最終章にして原点。70年代、終末医療も老人介護もまだなかった時代。一家で老人ホームを営んでいた蒔絵家の長男博史は自身の留年をきっかけに日下陽子と知り合う。身体が弱く休みがちだった陽子だったが、博史との出会いや交換日記、老人ホームの手伝いを経て明るくなっていく。陽子はもともと医者になるのが夢であったが、老人ホームの手伝いを通して、老人ホームに医者として常駐することを目指す。博史も陽子と別々の学校に行く未来が想像できず、同じように国立医大を目指すこととなった。しかし、身体が弱く休みがちだった陽子は再び留年し、博史一人だけが上京することなった。上京当日、駅までお見送りに来た陽子に博史は一年後に必ず来い、待ってるからなと約束をするが、陽子はどこか寂しげだった。そんな陽子の様子が気がかりであった博史だがーー。

7Fふぁ、ルールはどうしてできたのか。ナルキの原点を語るのがナルキ4である。ちなみに主人公の蒔絵博史はMF文庫J版に登場した蒔絵さんの父。学校をサボってた不良みたいな少年が国立医大に受かり、医局長や院長を歴任するのは凄いと思う。余談であるが陽子は片岡ともさんが好きそうなキャラである。

外伝 Die Dritte Welt

ナルキ3のリメイク。ぼくはナルキ3をこのPSP版でプレイしたので、ナルキ3とどう違うかわ分からない。

エピローグ

蒔絵素子(蒔絵さん)、篠原姫子、阿東優(ナルキ1の主人公)、そしてナルキッソスのエピローグがある。

蒔絵さんのEPはナルキ1の一年後の物語であり、セツミ母との交流を描いている。蒔絵さんが優しくいい娘であり、蒔絵さんがいない世界であったら、セツミ母はどうなっていたのだろうかと不安になる。EP阿東優はPC版ナルキ2のおまけであったエピローグを元に優花さんのシーンが追加されている。姫子EPは姫子さんと優花さんのお話が中心である。去る者として残す者へ魔法をかける姫子さんと親友である優花さんのやりとりは辛く悲しい。姫子EPをプレイするとその後の優花さん(特に後述のスミレ)を観るだけで泣けてくる。最後のセツミと千尋さんのやりとりも秀逸である。素晴らしいエピローグだ。EPナルキッソスはナルキ1~3の登場人物たちがルールにどんなことを付け加えたかを書いてるのだが、あまりの酷さに怒りが収まらなかった。PSP版ナルキの最後がこれではあまりにもすぎる。

steam版narcissu

2014年にSekaiProjectによりsteamから配信された。ナルキ1,2がプレイできる。PC版同様無料でき、実績機能にも対応している。PC版の英語版を完全移籍した形となっており、プロダクトも英語しか載っていない(ちゃんとサウンドモードも移植されている!)。そのため、日本語話者はプロダクトを読むためにもPC版をプレイしてもいいかもしれない。もちろん、本編は日本語版があるし、ボイスも日本語であるが、英語版を元にしているため、英語版のテキストが表示される箇所が1箇所ある。ちなみに、PC版ナルキ1にはなかったセツミ母にボイスがついてる(恐らくPSP版の音声ファイルを使っている)。

ナルキッソス -スミレ-

2015年に発売されたナルキ最新作にして最後の作品(多分)。ねこねこソフト15周年記念アダルトゲーム「すみれ」のヒロインあかりが登場するため、あかりを紹介するあかりパートと本編であるスミレパートの二部からなる。

交差点の曲がる方向をちょっと間違えたことで〝迷子〟になり引きこもりとなったスミレ。ただただゲームをすることしかできなかったが、きっといつか自分にもできることが見つかる日が来ると漠然と思っていた。ある日、7F行きを告げられ、その日が永遠に来ないと知った。突然優しくなる両親や兄を見て、自分は迷子のまま、なにもできず終わると思うと申し訳なくて仕様がなかった。そんな時、以前公園であったあかりと再開する。あかりはあかりで〝迷子〟であったが、目を閉ざした世界に生きると決めた手前、誰にも貸し借りは作らないと決めていた。そんなあかりだが優花と出会ったことをきっかけに7Fと通っていた。スミレはあかりと出会うことで、あかりは優花と、そしてスミレと出会うことで変わっていく。同じ〝迷子〟になった者同士ーー。

ナルキスミレはナルキ1と2の間の物語である。ナルキスミレはナルキ2を匂わせる。ナルキ2で姫子が選んだ答え、ナルキスミレでスミレが選んだ答え。そして、ナルキ1でセツミが選んだ答え。そのどれをとっても眩しくあり、そのどれをとってもnarcissuなのだ。あと、これは本編には関係ないことだが、あかりのCVが姫子さんと同じ人(やなせなつみさん)であり、優花さんとあかりが会話してるだけで泣いてしまう。

narcissu 10th Annivesary Project

2015年よりsteamで順次配信が始まったSekaiProjectさんによる翻訳版。ごとPさんによる新規絵が少しある。起動するとメインソフトが開き、そこからプレイしたい章を選択すると、選択された章のゲームソフトが起動する仕組みとなっている。メインソフトの背景画像が素晴らしいのでとても欲しい。なお、実績機能には対応していない。

姫子エピローグ

PSP版のEP~篠原姫子~の移植版。ノベルモードという無理矢理画像サイズをPC版版のようにしたモードも搭載されいている(他のエピソードも同様)。内容自体はPSP版と変わらないが、ノベルモードをプレイするとあとがき(書き下ろし)とねこねこソフトのアダルトゲーム「ラムネ」のスタッフルームに収録されていた「1980」がプレイできるようになる。1980は片岡ともさんの自伝的お話であり、narcissuの元となったお話とも言われている。この1980をプレイするだけでもnarcissu 10th Annivesary Projectを購入する価値がある。

ナルキッソスゼロ

PSP版のナルキ4の移植版。あとがきにてセツミ死後の博史とセツミ母のやりとりが読める。PSP版のEP蒔絵素子のお話に繋がる内容である。PSP版のEP~阿東優~に相当するお話も入っている。

小さなイリス

ナルキ3の同名エピソードの移植版。steam版のどれもそうであるが、英語版を元に作成されている。そのためか、一箇所未翻訳箇所がある。あとがきで1980の続編的お話である「1993」がプレイできる。これも1980と同様、片岡ともさんの自伝的お話であり、narcissuの元となったお話とも言われている。

ナルキッソススミレ

同名ソフトの移植版。時間に追われていたためか、意味不明なテキストが挿入されていたり、音楽が不自然にループしたりしてフリーズすることもある(なお、音楽ファイルの不調は小さなイリスなどでも見られた)。おまけとして、ナルキシリーズの簡単な紹介及びまとめがある。

 

以上がナルキシリーズの全てである。他にもコミックマーケットでファンブックやドラマCDが販売されてはいるが、それはそこまで関係がないので今回は省略した。ぼく自身の文才のなさや記憶の欠如からこんなんで分かるかよと思う人もいるだろうが、申し訳ないが許して欲しい。

 

narcissuの魅力

narcissuは「死」をテーマにしたゲームであり、しばしば鬱ゲーだとか言われる。そのため、賛否両論であり、いわゆる信者を生むゲームである。確かにこのゲームは人を選ぶところがある。ぼく自身も信者だと思う。だが、今回はそこには目を瞑って欲しい。数少ないチャンスなのだから。

 

さて、narcissuの良さとは何なのか。それを言葉で表すのは難しく感じる。無理矢理にでも言葉にするとすれば、それは「距離感」なのではないかと思う。登場するキャラ一人ひとりの距離感が絶妙なのだ。ナルキ1において、主人公とセツミとの間に、恋愛感情というものがなかったわけではないと思う。しかし、作中ではそれをはっきりとは感じることが出来ない。もし二人の距離がもっと近く、恋愛感情が少しでも垣間見れるようであれば、このゲームの評価はもっと違ったものであったと思う。

ナルキ1のストーリーはドイツ映画「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」に酷似していると言われている。この映画も余命幾ばくもない患者二人が、車を盗み海を見に行くという話だ。この映画の詳しい話は省くが、これも名作なので機会があれば観てもらいたい。この映画とナルキ1の一番の違いは病人の二人というのが、男性同士なのか男女なのかである。ぼくに言わせれば、ナルキ1とノッキン・オン・ヘブンズ・ドアのストーリーが酷似しているなんていうのは、はっきり言って暴論だとは思うが、今回はそこら辺の話は省こうと思う。

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアは「死」をテーマにした作品でありながら、そこにその手の作品特有の暗さが感じられないのだ。全体を通して温かみがあり、外国映画特有のユーモアが散りばめられている。それでも、しっかりと死を描いているのである。だからこそ、ナルキ1の二人の距離感は絶妙なのだ。ナルキ1はノッキン・オン・ヘブンズ・ドアとは違い、暗さがないとは言えない。全体的に死をテーマにした作品特有の暗さが付き纏っている。だが、二人の遠いようで近い距離感は、作品の何をも邪魔していない。むしろ、この距離感こそがナルキ1の独特な雰囲気を生み出しているのである。二人の間の恋愛感情がもう少しはっきりしていたら、陳腐な恋愛譚で終わっていたのではいだろうか。物語の最後も下らないものになっていたと思う。
ぼくも数多くの物語に触れてきたが、ナルキ2ほど登場人物の距離感が絶妙なものをあまり知らない。narcissuはほとんど登場人物がいない。ナルキ1では二人、ナルキ2では五人である。ナルキ2ではこの五人の距離感が絶妙であり、誰か一人でもほんの少しでも近かったら、ナルキ2は数多あるフリーゲームの1つであっただろう。それ程までにナルキ2の距離感は完璧なのだ。時にもどかしく、時に苛立ちを感じるこの距離感がナルキ2を形作っている。

 

narcissuの良さは距離感だけではない。こっちはもっと言葉にしづらいのだが、特別感のなさとでも言えば良いのだろうか。詳細は省くが、ナルキ1では途中から淡路島を目指すことになる。こういった非日常を描いた作品では、最終的な到達地点で特別なものに触れていることが多い。その特別な何かに触れることで、死生観であったり人生観ががらっと変わる描写がしばしば描かれる。
では、narcissuはどうか。彼女らが物語終盤で見たものは、特別なものだろうか。滅多に見られないようなものだっただろうか。否である。ほんの少しの労力で簡単に見られるし、奇跡的な運がなければ見られないなんてわけでもない。だがしかし、だがしかしである。皆さんも思い出して欲しい。皆さんも自分の今までの価値観を変えるようなものに巡りあったことはあるだろう。でも、それは〝特別なもの〟だったろうか。そういう人は殆どいないのではないだろうか。人は何気ない普通のものでも、価値観や人生観を変えるような特別なものだと思えるのだ。人は何気ない日常から、大切なことを学べるのである。

数多ある物語でこういったアプローチをしている作品は少ないと思う。多くの物語では、登場人物の特別な体験・出来事を経て、読者、プレイヤーに問うてくる。それが悪いとは言わないし、だから名作にはなり得ないとは言わない。世の名作が名作たる由縁はちゃんと理由がある。だが、narcissuは違う。確かに死を意識する重篤な病気に罹ることは、ぼくらから見れば特別なことだろう。だが、彼女らにとっては日常なのだ。ぼくらはnarcissuをプレイして、彼女らの〝非日常〟を見ているのではなく、彼女らの〝日常〟を見ているのである。プレイヤーは、彼女らの日常に触れ、ぼくらは大切なものを得るのである。

病気に関わらず、死を身近に感じる物語では、日常は特別なものとして描かれることが多い。主人公達は非日常を生きていて、日常は奪われたものなのだ。主人公達にとって、過去のものであり、あこがれの対象として描かれる。何もこれはこの手の物語に限った話ではない。数多の物語では、日常は奪われるものであり、守るものとして描かれる。非日常にスポットライトが当てられることで、日常が輝いて見えるようになる。だからこそ、読者、プレイヤーは、日常の価値を高め、普通の日々に幸福を感じるのである。

narcissuで描かれる日常は違う。narcissuで言う日常とは、生まれてから死ぬまでの全てである。健康ではないから、今までと同じ生活を送れなくなったから、日常が非日常になるわけではないことが、narcissuでは描かれている。日々の繰り返しが既に日常なのである。

ぼくのつたない文章では、なかなか伝わらないかもしれないが、この日常観が本当に上手く描かれているのである。読者、プレイヤーにとって非日常なものを、登場人物の日常として描くのはとても難しい。現代の日本を舞台にしているのなら、なおのことである。narcissuからは、彼女らの日常を感じることができ、それが彼女らの〝生〟を浮かび上がらせているのだ。末期患者から漂う死の匂いの中に、はっきりと彼女らが生きていることが見えるのである。

では、narcissuでの非日常とは何のか。それは、旅である。ナルキ1では淡路島に、ナルキ2では富士山に行く。病院や病気が彼女らの日常であるのに対し、旅にでることは非日常である。ぼくらにとって旅にでることは非日常と言うほど大げさなものではないだろう。だが、narcissuでは非日常なのだ。それは、narcissuでの日常と非日常が、意識の差であるからだ。narcissuで描かれる非日常の先に彼女らが見たものは、特別なものではない。寧ろそれまでの日常にあったものだ。だが、彼女らはそれに気がついてはいなかった。非日常を経験して、初めてその存在に気がついたのである。
だが、非日常も日常の一部なのである。非日常を経験したからといって、それまでの日常は無価値にはならないし、非日常は無駄なことではないのだ。非日常も日常を等しく尊いのである。これこそ、narcissuの真骨頂である。あくまでもnarcissuの非日常は、〝普段とは違う日常〟であり、日常はそれまでのいかなるものも受け入れていくもであり、過去が無価値になることはないのだ。

narcissuでの日常観はナルキ3,4やスミレでも受け継がれている。narcissuの日常観は死生観に結びついており、ナルキ3,4やスミレではそれらが如実に描かれている。

イリスやヨハンの日常は「人を殺す」ことであった。では、非日常はなんだったのか。旅か。ぼくはそうではないと思っている。相手である。イリスはヨハンと、ヨハンはイリスと行動をともにすることが非日常だったのである。イリスはカメオを捨てられたことで、日常は非日常となり非日常は日常となった。ヨハンは妹を殺すことで、日常は非日常となり非日常は日常となった。二人は失った非日常を捨て去りたかったのではないか。生きるために、死ぬために人を殺す道を選ぶことで。

narcissuの日常観は徹底している。非日常も日常の一部なのだ。非日常を経験したからといって、それまでの日常は無価値にはならないし、非日常は無駄なことではないのだ。非日常も日常を等しく尊いのである。非日常も繰り返されることで日常になり、日常は数多の非日常で構成される。二人は似たような境遇を持つ者と出会うことで、それに気付く。

人との出会いが非日常であり、それが日常となるという点では小さなイリスとナルキスミレは似ている。あかりとスミレ。彼女たちは引きこもりを〝迷子〟だと称している。そういう意味では、彼女たちの非日常は人生そのものであり、二人に日常はなかったとも言える。スミレが残したかった〝生きた証〟とは彼女の〝日常〟に他ならない。彼女は自分が迷子であったから、非日常が日常を構成するとは思っていなかった。だが、彼女はあかり(やセツミ)と出会うことで、そうではないと気づけたのだ。彼女が旅の先に辿り着いた風穴洞で使った魔法。それこそがnarcissuの日常観を示している。

魔法はスミレではなくあかりにかけられた。姫子ではなく優花に、千尋に、セツミにかけられた。魔法をかけられた者は日常と非日常を生きている。だから、彼女らは日常を生きていない。一足先に日常を得た者は彼女らに魔法をかける。非日常を日常を生きて欲しいからだ。スミレも姫子も嘗ては日常を生きていなかった。非日常が日常を構成するとは思っていなかった。だからこそ、魔法は結構効くのだ。

 

最後に

最後になるが、narcissuの作者でステージ☆ななの代表者である片岡とも氏の18禁ゲームに対する考えを紹介したいと思う。片岡とも氏は、アダルトゲームメーカーのねこねこソフトシナリオライターを務めている。そんな彼だが、大人でなければ共感できない話も18禁ゲームと扱って良いのではないかと言う考えを持っている。ねこねこソフト作製の「120円の冬」は、そんな彼の考えの下制作されたものだ。ぼくはnarcissuもそういった作品の一つだと思う。もし、読者の皆さんの中に、未成年者の方がいれば、大人になってからnarcissuをもう一度プレイしてみて欲しい。恐らく、また違った風に見えるはずだ。

 

頭に思い浮かんだことを何も考えずに書いてしまったため、雑多な感じになってしまい、かなり読み辛かったと思う。その点については、本当に申し訳なく思っている。ただ、この文章を読んでよく分からなかった人も、これだけは覚えていて欲しい。セツミの「眩しかった日のこと、そんな冬の日のこと」という科白にnarcissuの全てが詰まっている。だらだらと書いてきたが、これがnarcissuである。

参考

http://stage-nana.sakura.ne.jp/

ステージ☆ななのホームページ。ナルキ2(ナルキ1同梱)がDLできるほか、コミックマーケット情報やナルキ等のsteamページのリンクがある。

 

www.kickstarter.com

narcissu 10th Annivesary ProjectのKickstarterページ。ナルキやSekaiProjectの概要が書いてある他、片岡ともさんの顔写真が観られる

果たしてトールは本当に女の子なのだろうか? -アニメ『小林さんちのメイドラゴン』感想みたいななにか-

みなさんは『小林さんちのメイドラゴン』というアニメを観ているだろうか。クール教信者先生原作のアニメであり、制作はみんなが大好きな京都アニメーションである。トールが可愛すぎて、毎週語彙力を失ったオタクになってしまう。だが、ここで一つの疑問が浮かぶ(浮かばないとは言ってはいけないトールは本当に女の子なのだろうか。男の娘なのではないだろうか。

 

トールが女の子である証拠を探そう

第1話 史上最強のメイド、トール!(まあドラゴンですから)

二日酔いに苦しむ小林さんのもとに来た一人のドラゴン。トールが世を忍ぶ仮の姿としてメイドを選んだのは小林さんの好みに合わせたものだ。

トール「小林さんがメイドがいいって」

そう、トールが女の子だからメイド姿になったわけじゃないのだ。つまり、トールは男の娘メイドという可能性もあるのだ。ドラゴンに性別があるのは、トールの「父と母に受けた恩は下等で愚かな人間でも返せと教わりました」という科白から分かる。見た目(人間)の性別とドラゴンとしての性別が一致していると決まっているとは明言されていない。つまり、トールの口から「私は女の子のドラゴンです」という科白やそれに類似する科白(他のドラゴンから「トールは女の子のドラゴンだよ」という科白でもよい)がなければ、トールが男の娘メイドではなく、正真正銘の女の子であるとはいえないのだ。

さて、肝心の第1話だが、そのような科白はなかった。まだ、男の娘の可能性に縋っていられる。

第2話 第二のドラゴン、カンナ!(ネタバレ全開ですね)

第2話では二人目のドラゴンとして、カンナムカイが登場する。カンナの世を忍ぶ仮の姿は幼女であるが、どうして幼女の姿なのかは特に述べられなかった。理由如何によっては、見た目(人間)の性別とドラゴンとしての性別が一致しているかどうかが分かったのかもしれないのに。だが、カンナはトールのことを慕っており、小林さんにNTRたとも言っている。ここまで慕っていれば、カンナの言動からドラゴンの性別が分かるかもしれない。期待が高まる。

トール「魔法の言葉です。大抵の会話はあれ(マジやばくね?)でいけますから、覚えておくといいですよ」

変な言葉を幼女に吹き込むメイドラゴンがいただけで、ドラゴンの性別が分かる決定的な証拠はなかった。ホッと安心している自分がいた。

第3話 新生活、はじまる!(もちろんうまくいきません)

3人が住むことになり手狭になったアパートを引き払い、広いアパートに引っ越すことにした小林さんとドラゴン。隣人トラブルに巻き込まれつつも、結構いい暮らしをする小林さんとドラゴン。そして、花見を断る口実に宅飲みをする。これは朗報である。トールのお友達のドラゴンがやってくるからだ。まずは、ファフニールファフニールは執事のような世を忍ぶ仮の姿なのだが、これはトールが渡した写真を元に選んだようだ。そして、もう一人がケツァルコアトルだ(ちなみに元ネタであろうアステカ神話の文化・農耕の神ケッツクアトルは男。テスカトリポカの恨みを買い、泥酔させられ近親相姦をしてしまい、神の地を追われる)。ルコアは巨乳であり、小林さん曰く痴女みたいな格好である。ルコアさんがどうして痴女みたいな格好してるかは謎である。

ドラゴンが4人もいれば性別が分かるかもしれない。分からなくても誰と誰が同じ性別であるという情報が手に入るかもしれない。たとえそれだけでも、大きな前進だ。しかし、ぼくの期待はあっさり裏切られる。そのような言動はこれっぽっちもなかった。トールどころか、どのドラゴンの性別も分からない。ショタかもしれないし、男装の麗人かもしれないのだ。巨乳痴女は巨乳痴女であって欲しいな。可能性が万に一つでもある限り、ぼくはトールは男の娘メイドかもしれないんだぞと言い続けていく。そう、固く決心した。

第4話 カンナ、学校に行く!(その必要はないんですが)

集団登校の列を羨望の眼差しで見るカンナ。小林さんは学校に通いたいカンナの夢を叶えてあげる(『日○』で観た)。戸籍なんてあるはずのないドラゴンをどうやって、小学校に転入させたかは疑問ではあるが、文房具やランドセルを手にしはしゃぐ姿は微笑ましい。

第4話はあまり期待できない。カンナが小学校に通うお話で、ドラゴンの性別が分かるとは思えないからだ。しかし、予想に反しドラゴンのオンパレード。おお、ドラゴン同士の会話から今度こそヒントが得られるかもしれない。まぁ、予想通り、何も分からなかったけどね。

トール「そう言えば、私はまだ貴方がたに勝ったことないんですよね」

世界に終焉をもたらす程度には強いメイドよりも強いゲーマーと巨乳がいるとは……。

第5話 トールの社会勉強!(本人は出来てるつもりです)

すっかりこっちの世界での生活が板についてきたトールは会社見学に。小林さんの社畜有能っぷりに惚れ惚れしつつ、無能上司に吠え面かかせるトールに思わずガッツポ。

一方、カンナちゃんは図画工作の授業でお友達を描こうで半デコを描く。二人組作ってで余らないなんて!半デコのアヘ顔に百合と叫びそうになるのを、ドラゴンの性別が分からないんだ、まだ百合と決まったわけじゃないんだと必死で耐える。

ファフニールさんの突然の移住宣言から始まったBパート。戸籍や銀行口座をどうとったのかという疑問を持ってはいけないんだと自分に言い聞かせる。こっちの世界での先輩としてファフニールさんに色々吹き込むトールに、異種間恋愛の障害を説くファフニールさん。純愛は種族を越えるんだ……!

なんやかんでファフニールさんはゲーマーという熱い絆で結ばれた滝谷くんの家に居候することになる。ドラゴンの性別が明示されていないので、見た目は男二人だけど、実際は同棲ってことも有り得る訳で……。

Mr.マ○ックのハンドパワーに驚愕した二人のドラゴンは、小林さんが昔買った超能力の本(忘年会でのかくし芸用だろうな……)に影響され修行を始める。ベタな修行に少年の心が騒ぐ(亀○流の修行とか流○舞とかやってたなー)。小林さんがトールを悟らせる科白に感銘を受けるが、結局最後はスプーン曲げなんてちゃちなものじゃなくて、本物の超能力ってヤツを見せられる。

半デコ「パイナップル入り酢豚。これ嫌いなのよねー」

○京さんも嫌いらしいし、半デコも将来は警視庁きっての天才になるな。

第6話 お宅訪問!(してないお宅もあります)

第6話ではトール以外のドラゴンのこっちの世界での生活が描かれる。

まず初めにルコアさんである。ルコアさんはある少年の家に居候している。興味本位で召喚儀式をしているところに優しさで召喚されに行ったのである。ショタくんはルコアさんのことを悪魔だと思っており、家を乗っ取られると思っている。その誤解を説くためにショタくんの家にお邪魔する小林さん御一行。

結局誤解は解けず、悪魔は悪魔でもサキュバスだと思われてしまうわけだが、ドラゴンの性別を判断する上で重要な話だった思う。ショタくんの家に居候する見返りとして、ショタくんの役に立とうとルコアさんは色々な提案をする。小学生の身空にして人間が出来上がっているショタくんに悉く提案を却下されてしまったルコアさんは、最終的に身体を差し出そうとする。完璧なおねショタにどうもありがとうございますと言いたいところだが、少し待って欲しい。ドラゴンは爬虫類だ。それは次回予告でのルコアさんの科白からも分かる。

ケッツアルコアトル「ぼくの服は鱗だから、ぼく的にはいつも裸なんだけど」

鱗があるということは魚類か爬虫類しかない。こっちの世界に限らず向こうの世界でも陸棲であることから、魚類はあり得ないだろう。爬虫類は卵生である。つまり、ドラゴンも卵生だと考えられる(首長竜の一種には胎生のものもいたらしいが多くは卵生なのでドラゴンも卵生だと判断した)。そう、ドラゴンは乳を子どもに与えないのである。ドラゴンにおっぱいはないのだ。だが、世を忍ぶ仮の姿にはみなおっぱいがある。

何故か。ここにドラゴンの性別を知るヒントがある気がする。世を忍ぶ仮の姿におっぱいがあることは、ドラゴンが人間について詳しい知識を持っていることの裏返しではないだろうか。人間のことを下等生物と罵ってはいるが、人間が性別に限らず、胸の大小で一喜一憂していることを知っている。それが異性を堕とす武器になると分かっているのだ。爬虫類に限らず、他の生物はパートナーを見た目の良し悪しでは選ばない。角の大小や力強さなど、種としての強さで選ぶ。ドラゴンもそうだと言える材料は今のところ明かされてないが、卵生だとすれば見た目の良し悪しで選ぶとは思えない。やはり、種としての強さで選んでいるのではないかと思う。だとすれば、ドラゴンには身体を使って誘惑するという行為は存在しないはずだ。だが、ルコアさんはその巨乳をつかって、ショタくんを誘惑する。その巨乳が男を誘惑するにたりうる武器だと分かっているからだ。ドラゴンの高い知能と人間への知識の深さがうかがえるエピソードだ。

では、なぜルコアさんはあのような世を忍ぶ仮の姿になったのか。トールは自身のおっぱいについて、DragonのDカップだと述べた。このことから、おっぱいの大きさは自身で好きに設定できることが分かる。トールは小林さんの好みに合わせて、ファフニールさんはトールの指示通りに世を忍ぶ仮の姿を設定した。ルコアさんにはそのような理由がないことからも、自分の好みであのような世を忍ぶ仮の姿になったと思われる。

ルコアさんはなぜ巨乳痴女の格好をしているのか。これが分かればドラゴンの性別が分かるはずだ。その判断の一助となりそうなのが第6話である。ルコアさんはショタくんに対して、身体を差し出そうとした点だ。物語上の話からは逸れるが、恐らくこのエピソードはアステカ神話の神ケツアルコアトルのエピソードから来てると思われる。ケツアルコアトルは人身御供を嫌い止めさせた。このことが原因でテスカトリポカの恨みを買い、泥酔させられ近親相姦をしてしまい、神の地を追われる。劇中、ルコアさんがお酒に過剰反応するのはこのためである。人柱と言えば女性である。ルコアさんが女性だからこそ、人柱としてショタくんにその身を捧げたのではないか。

ただ、この説もかなり強引である。ルコアさんが女性を演じきっている可能性もある。あれだけの知能の高さである。人間への知識の深さも考えれば、人身御供としてその身を捧げる女性を演じることは可能であろう。そもそも、アステカにおける太陽の儀式に生贄として捧げられるのは、少年・少女も生贄として捧げれることはあったものの、多くは戦争によって手に入れた奴隷であったらしい。女性であったとは限らないのだ。

一方、ファフニールさんは滝谷くんの英才教育により、完全にオタクになっていた。

第7話 夏の定番!(ぶっちゃけテコ入れ回ですね)

水着回である。いつの間にか専務がご子息と小林さんが懇意であることを知っていたが、相も変わらずショタくんはルコアさんに振り回される。ドラゴンたちは夏の海を満喫する。トールがドラゴンとしての〝宿命〟に悩まされそうになるが、小林さんとの愛の力で乗り越えたりするが、特に何事もなく海水浴が終わる。異種族恋愛が如何に難しいかが垣間見える。

CMが開けると一転してコミ○回と化した。オタクの水着回だ。人間界に来て数ヶ月でサークル参加するファフニールさんのポテンシャルの高さに驚かされるが、滝谷くんのサークルの人気の高さにも驚く。あまり詳しくはないのだが、成り切りコスプレしている人に対して、「成り切りですか」と言うのは失礼じゃないのだろうか。

トールの科白から、ファフニールさんやルコアさんのような存在感のある方々は、人間界にも記録が残っているらしい。ということは、ルコアさんはケツアルコアトルであることは間違いないし、ファフニールさんは北欧神話ドワーフ(ワームに変身する。三兄弟の長男)だろう。神話に基づけば、ルコアさんもファフニールさんも男ということになるのだが、これだけでは確定したとは言えないだろう。

コスプレ参加してる本物の人「(「次の薄い本どうする?」の問いに対して)ドラゴンメイド娘でいいだろう」

これは公式からの出せっていう命令ですね。違う

第8話  新たなるドラゴン、エルマ!(やっと出てきましたか)

トールのライバル、エルマが登場する記念すべき回である。

だが、Aパートではお弁当作りというプロレスが展開される。お弁当作りって本当に大変なんだよな。特に朝の忙しい時間ともなると。小林さんがトールに、カンナやルコアさんたちに好かれる理由が分かる名エピソードだ。

さてさて、エルマさんの登場である。新しいドラゴンの登場であり、それはトールのライバルである。その科白からドラゴンの性別が分かるかもしれない。期待は高まる。それに可愛い。

エルマさんはモデラーシステムエンジニアとして、アイドル養成学校小林さんの会社に中途入社する(パソコンも禄に触れないのにどやって入社したんだ)。もう一挙手一投足が一々可愛い。だが、これがトールの嫉妬を誘い、トールは空回りをして怒られることになる。その際の一幕で、小林さんが「ケツを見せろ」と怒るシーンがある。

トール「食欲だけじゃなくて、性欲も満たす気ですか!?」

かなり下世話な話になってしまうので、詳しくは書かないがお尻(アナル)を見せることと性欲が結びつくのは男性の考えではないだろうか。やはり、トールは男の娘メイドではないだろうか。意味深な描写であった。

一方その頃、ショタくんは淫夢に悩まされていた。

第9話  運動会!(ひねりも何もないですね)

運動会。運動音痴のぼくにとって地獄のような日であるが、カンナや半デコにとってはそんなことはなく、楽しいイベントだそうだ。カンナは保護者として小林さんにも見に来てもらいたいらしく、小林さんを運動会に誘う。しかし、絶賛ハデス討伐デスマ中である小林さんは、一言無理と返す。ショックを受けつつも我が儘を言うカンナに微笑ましいなと観ていたが、それも束の間。一瞬で叩き落された。

カンナ「トール様はお姉さまっぽい。小林さんはお母さんっぽい」

トール様は〝お姉さま〟。ドラゴンのドラゴンによるドラゴンの性別発言である。これはもう決定的だ。トールの性別は女。男の娘メイドでは決してないのだ。そう、『小林さんちのメイドラゴン』は異種間百合アニメだったのだ。この感想もへったくれもない酷い文章の連なりも道半ばで終わってしまったのだった。

奇しくもこの一日前には某ふれんずアニメの主人公の性別が判明したばかりであったーー

最期に

さて、トールは男の娘なんじゃないかというぼくのひねくれた妄想から始まったこれは、9周目で現実を突きつけれれることとなった。書いてて思ったことは下らないこと考えてないで、純粋に楽しんで観ようということだ。アニメに対し、与えれた少ない情報から物語を考察する。これも一つの見方だ。だが、これはぼくには早いんじゃないだろうか。高尚すぎるなじゃないだろうか。そのことが今回、はっきりと分かった。苦しいよなと思いながら書いていたからだ。

それでも、やってよかったとは思っている。下らないことを考えながら観るのは楽しい。文章を書くのも楽しい。それは今までの投稿からも感じていたことだ。これも毎回書いてることだと思うが、是非みんなも書いて欲しいと思う。

そして、最後になるがぼくは男の娘というジャンルが苦手だし、百合が大好きだ。こんなことをだらだらと書いておいてと思うが、自分の趣味趣向はそう変わるもんじゃない。ぼくはこれからも百合に生きていこうと思う。

灰羽連盟の日に寄せて

皆さんは「灰羽連盟」というアニメをご存知だろうか。灰羽連盟安倍吉俊さんの同人誌『オールドホームの灰羽達』を元に構成された作品で、2002年10月にフジテレビで放映されていた。また、2015年10月からフジテレビオンデマンドで配信が開始された。早くバンダイチャンネルdアニメストアでも配信を始めるんだよ。

灰羽連盟はどんなお話かというとなのだが、ぼくはあらすじを書くのが苦手で全くもって書けないので、うぃきぺでぃあ先生によるあらすじを紹介しようと思う。

 

高い空からまっすぐに落ちていく少女。やがて彼女は水に満たされた繭の中で目を覚ます。古びた建物の一室で彼女を迎えたのは背中に飛べない灰色の羽を持つ、「灰羽」と呼ばれる人物たち。繭の中で見ていた空を落ちる夢から、少女は「ラッカ」と名づけられる。

高い壁に囲まれたグリの街、灰羽たちの暮らすオールドホーム、そこでの仲間たちとの穏やかな日々。戸惑いながらも少しずつその生活に馴染んでいくラッカ。しかしやがて、短い夏の終わりに1つの別れが訪れる……。

灰羽連盟 - Wikipedia

 

 誰が書かれたのかは存じ上げませんが、参考になるあらすじですね(フジテレビオンデマンドのあらすじはあまり好きじゃないので)。さてこの灰羽連盟だが、1年と1ヶ月ほど前にファンの方がTwitterでこのようなtweetをされていた。

 

 

 

そして、本日はその冬至である。灰羽連盟の日である。灰羽連盟の日が冬至とは嬉しいことだ。ぼくの誕生日が冬至灰羽連盟の日になる年もあるのだから。そして、2016年の冬至はぼくの誕生日。これはもう書けと話師が言っている。灰羽の世界観にぴったりではないか。そこで、ぼくも灰羽連盟の日に寄せて、つらつらと書いていこうと思う。

……で、何を書けばいいんだろう? 灰羽連盟に関する考察はもう既にいろいろな人が書いている。ぼく程度が書いたところで、それらには遠く及ばないだろう。かと言って、絵心がありますか?と問われると、絶望的にない。ぼくに書けることは何なのか。考えてみた。

 

ぼくはどうして灰羽連盟を好きになったんだろう?

ぼくは灰羽連盟が大好きだ。思い出しただけで、涙がホロリと流れる。大好きだからこそ、多くの人にこの作品を観てもらいたいとすら思っている。誰もが好きになる作品なんてない。そんなことは分かっている。それでも、観てもらいたいのだ。少し怖いが、多くの人の感想が知りたいからだろう。

その前に、だ。ぼくはどうして灰羽連盟を好きになったんだろう? ぼくは好きになった理由を明確に言葉にするのが苦手だ。あれが嫌い、これが好き。そう感じるのは簡単なのに、どうして?と聞かれると、返答に窮してしまう。上手く言葉に出来ず、歯痒い思いをする。

だが、それでは駄目だ。人に勧めようという時に、自分が好きな理由を言えないではお話にならない。灰羽連盟を勧める前段階として、今回はそういうところを詰めていこうと思う。

 

謝罪と石を用意する時間

元々の予定では、ここから灰羽連盟のここがいいんだよねとか、だから灰羽連盟が好きなんだよねとか書くはずでした。大谷幸さんの楽曲がどうのだとか、時計屋の親方がああだの、色々と考えていたんです。でも、本当に色々とあって、気づけば冬至目前。諦めました。実験に修論よ、滅べ。本当にすいません。石でも礫でも投げて下さい。「この自堕落野郎! アニメばっか観てるからだろ!」と罵って下さい。文句は言ません。ぼくが悪いんですから。

 

第1話「繭 空を落ちる夢 オールドホーム」の美しさ

気を取り直してというか、第1話「繭 空を落ちる夢 オールドホーム」の凄さを書いていこうと思う。アニメを人に勧める時、取り敢えず1話だけでいいから観てくれ。そうしてから、判断してくれ。そう言うと思ったからだ。はじめからその話をすればよかった。

 第1話は完璧だ。無駄がなく、美しい。

物語は一人の少女が空から落ちてくるところが始まる。その少女の周りを飛ぶ1羽の烏。落ちていく少女に触れた烏は何を思ったのだろうか。劇伴として流れる「Ailes Grieses」が涙を誘う。「Ailes Grises」は仏語で〝灰色の羽〟を意味するように、灰羽連盟を表した曲だと言えるだろう。Ailes Criesesが流れる中、少女が落ちていくこの光景は、この物語を表しているんじゃないかと邪推してしまう。それだけ印象的な曲であり、印象的な始まり方だった。

舞台はオールドホームに移り、一人の少女が大きくなった繭を発見する(レキを少女と呼ぶのには違和感があるが、女性と呼ぶのも違和感がある)。繭から産まれる灰羽を楽しみにしていた5人。ここのシーンとこの後の産まれてきたラッカを囲むシーンで、5人の人となりや関係性がなんとなく分かる。

このなんとなくがいい。多くを説明されるわけでも、詳しい説明があるわけでもない。彼女らはラッカ(と視聴者)が分かっていると思って話している。だからこそ、彼女らの話からは全ては分からない。伝わってこない。ヒカリやカナたちが一度に話しかけしてまい、ラッカが困惑するシーンがある。何気ないシーンだが、大好きなシーンだ。

分からないのは彼女たちのことだけではない。グリの街、そして灰羽についてもあまり説明がない。あまり説明がないからこそ、ぼくらはラッカとともにグリの街に入っていけるのだ。ここで知りすぎていたら、ぼくらは第三者的な立場として、グリの街を漂っていただろう。

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、灰羽たちは仕事に戻っていく。ラッカとレキを残して。ここからが圧巻だ。第1話は無駄がなく、美しいと書いた。それはここからの展開があるからだ。かすかな背中の痛み。うなされるほどの高熱。背中を破り生える灰色の羽。言葉にすれば(ぼくの文才のなさも相まって)、味気のないものだが、闇夜に映えた血に濡れた灰色の羽は美しい以外の言葉で語れない。始めて観たときはあまりの美しさに言葉を忘れ、涙さえ流れた。「Blight」がその美しさを加速させる。灰羽連盟を観終わり、blightの意味を知り、この一連の美しい〝羽化〟でBlightが流れた意味を考えざるを得ない。そして、その意味の自分なりの答えに辿り着たいとき、また泣いてしまうのだ。

羽化の後のレキがラッカの羽を綺麗にするシーンも素敵だ。レキの一挙手一投足の全てが愛おしい。綺麗な灰色だよ。白くも黒くもない綺麗な灰色。レキの科白が頭から離れない。

第1話は翌朝のシーンで終わる。無駄のない1話を観てきて、息をするのを忘れていても、ホッと一息つける一幕だ。寝癖に慌てふたむき、頬をふくらませるラッカが凄く可愛い微笑ましい。

ようこそ 私たちのオールドホームへ 

 

ここまで、勢いだけで第1話について語ってきた。どうだろうか。第1話の美しさが伝わっただろうか。灰羽連盟を観てみようと思ってくれただろうか。取り敢えず、1話だけでも観るかと思ってくれただろうか。

まぁ、伝わってないんじゃないかなと思う。酷い文章で何を言ってるか分からなかっただろうし、あまつさえ気持ち悪いとも思うだろう。無理もない。ぼくだってそう思うのだから。ただ、一つ言いたいのは灰羽連盟は本当に名作だから、是非観て欲しいってことだけだ。この一言を言いたいがために、何を書いてるのか分からなくなりながらも、こんな文章を書いたのだ。

 

最後に

灰羽連盟は答えを探す物語だ。一人の少女が傷つき、苦しみ、傷つけて。安易な答えを求め、自分で創り上げたハリボテの希望に縋り付く。そうして、また傷ついて、苦しんで、傷つけて。そうやって、辿り着いた、見つけ出した答えが、彼女に何をもたらすのか。彼女にとって何を意味するのか。それが、それこそが、灰羽連盟なのだ。

灰羽連盟のファンの中には、灰羽連盟を観た人達に対して、2周目を勧めてくる人達がいる。灰羽連盟は答えを探す物語だと言った。彼女が見つけ出した答えを知った上で、もう一度観返すと、また新しい灰羽連盟を観ることができるからだ。第1話はあまりの痛々しさに直視できなかった。灰羽連盟を観て、好きだなとか何かくるものがあったら、是非もう一度観返してみて欲しい。

灰羽連盟が大好きなんだ、観てみてくれないか。ただ、それだけを言いたいがために、こんな分かり辛く、気持ち悪い文章を書いてしまった。最後まで読んで下さった方、どうもありがとうございました。灰羽連盟を始めて知った方は是非観て欲しいし、もう知ってるよという方は温かい目で見て欲しいし、出来ればでいいので灰羽連盟に対する想いをどこかに書いて欲しいと思う。文章を書くということは楽しいことだ。そう思っているからだ。

あと、今日12月21日は冬至であり、灰羽連盟の日でもあるが、(最初の方にも書いたけど)ぼくの誕生日でもある。出来ればでいいので、誕生日おめでとうって言って下さい。来年は友達や彼女(頑張って作ろう)にリアルで祝ってもらうから。どうか、今年だけでも。

それから、こんな酷いブログ上で恐縮ではございますが、安倍吉俊先生、あべ由香理先生、第二子のご誕生おめでとう御座います。これからも、先生のご活躍を応援しています。

 

最後に、灰羽のみなさん、「灰羽連盟」の原作者である安倍吉俊先生、灰羽ファンのみなさん、こんな素敵な作品に出逢えて本当に嬉しいです。どうもありがとうございました。

参考

アニメ「灰羽連盟」の公式ホームページ。

灰羽連盟 ホームページ

 

アニメ「灰羽連盟」を配信している素晴らしい唯一の動画配信サイト。

fod.fujitv.co.jp

「劇場版艦これ」の感想的な何か

 やってみたいなという単純な理由で始めたはてなブログですが、取り敢えずと書いたのが、アニメ「艦隊これくしょん -艦これ-」の適当な感想でした。はてなブログとかもう1年くらい触ってないですし、艦これアニメの感想で何を書いたのかも覚えてないんですが、まぁせっかくなのでということで、「劇場版艦これ」の感想でも書こうかなと。

話の流れを覚えてないので、時系列順に書かれてないかもしれないので、その点は申し訳ありません。気にせず読み進めて下さい。

 

ショートランドに集う艦娘

劇場版艦これの感想と聞いて、最初に浮かぶのは〝雑〟ということですね。それはもう、笑ってしまうほど雑でした。あまりの雑さに、ずっと笑ってました。

劇場版は阿鼻叫喚のイベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」をモチーフにしています。史実で言うと、1942年8月の第一次ソロモン海戦から同年11月の第三次ソロモン海戦でしょうか。

劇中では理由は忘れましたが、艦娘たちはショートランドに集結します。その第一段階として、三川艦隊による深海棲艦への一方的な殺戮を行います。作戦は成功し、その一方的な殺戮の後に、海水の異常変色や不思議な声を観測し、アニメ3話で沈んだはずの駆逐艦如月を回収します。君が沈んだのは3,000kmは離れているウェーク島では????花田大先生の精霊会議がこんな序盤に出てきて戸惑いましたが、これは始まりに過ぎなかったんだと思い知らされることになります。

帰投したショートランドにて、再開を喜ぶ駆逐艦睦月。感動的に見えそうで見えないシーンの裏側で、如月や鉄底海峡の異変について話し合う弩級戦艦や空母の皆々様。特に如月に関しては、最重要機密・D事案に認定されます。そして、ショートランドに集結した艦娘たちは、視聴者へのお披露目のために英気を養うために宴会を開きます。何故かD事案について知っている正規空母瑞鶴に笑いながらも、深海棲艦と艦娘の関係についての話が話されます。ここでも田中Pの異常なまでの瑞鶴好きを見ることができます。正規空母加賀の過去と共に明かされたそれに、睦月は衝撃を受け、正規空母赤城の「如月を救うためには深海棲艦となった彼女を沈めるしかない」という言葉に泣き崩れるます。それを物陰で聞いてしまった如月自身もショックを……そこまで受けてはいませんでしたね。

如月の心情・言動がかなり雑に描かれます。中途半端な発狂しかしないので、もっと発狂させないと、物語としての面白みに掛けるのではと思ってしまいます。特に物語後半において、それは顕著になります。如月に関してはアニメで相当理不尽に叩かれたこともあってか、かなり日和ったマイルドに描かれています。ここが雑な印象を受ける大きな原因かなと思っています。

 

これが主人公力ですよ

軽巡洋艦大淀の事情聴取や二航戦に高速戦艦の調査により、ソロモン海域の鉄底海峡に異変の中心があることが分かります。同心円状に異変の範囲が広がりつつあり、2日だか3日も経たない内に、ショートランド諸島も飲み込まれることが分かります。円の中心では界境トンネルでも開こうとしてるんじゃないか?何の道具もなしに綺麗に正円を書く艦娘を見て、魔法陣が書けるななんて呑気なことを思っていると、同海域では艤装にヒビが入るという危機的な問題が生じます。つまり、同海域では時間が経つと、艦娘はだだの女の子になってしまうわけです。……駆逐艦吹雪を除いては。

吹雪だけがなぜ、無事なのか。その謎を解くために、調査隊一航戦は南米に吹雪の元へ向かいます。一航戦、主に加賀のきつい尋問に戸惑う吹雪。貴女の前の所属は? そこの指揮官は? 秘書官は? 本当に提督と初めて会ったの? すいません、覚えていません……。秘書官は扶桑山城(原作ブラウザゲームの艦娘紹介で「憧れは〝先輩の〟扶桑山城姉妹」と答えている)で、提督とは夢の中で会ってるでしょ。

結局、なぜ吹雪の艤装にヒビが入らないのかは明かされませんが、これが主人公力ですよ。主人公は絶対無敵、豪運最強と相場が決まってますからね。下手な理屈はいりません。

 

助けに来たよ、睦月ちゃん

さて、艤装に関して、具体的な策もないまま、ソロモン海域の深海棲艦及び異変の発生源の殲滅作戦が開始されます。ショートランドに停留している全艦娘による総力戦であり、惜しげもなく艦娘を出してきます。アニメでは観られなかった嫁艦を観られて、喜んだ提督も多かったことでしょう。しかし、あんなに映っていたのに科白がなかった艦娘がいたのは可哀想でした。科白がないなら、出さなければ良かったのに。ソロモンの鬼神も泣いてるぞ。

出撃直前のシーンで、田中Pの異常なまでの瑞鶴好きと中途半端な如月を観せられます。あれでは引きこもりの厨二病患者にしか見えません。

ただ、戦闘シーンは凄かったですね。笑いどころしかなかった劇場版の唯一の見せ場です。戦闘シーンにリソースを割きすぎたのか、一部の波のシーンがちょっと……となってたくらいですから。ここばかりは、劇場でその凄さを体験して欲しいぐらいです。

件の艤装問題もたいしたことなく、作戦は進んでいきます。なにせどの程度の時間が経つとヒビが入るのかが明かされてないので、好きなタイミングでヒビを入れることができますからね。割りと直ぐ入る娘(高速戦艦)も入れば、忘れた頃に入る娘(主人公と同じ艦隊に配属された艦娘)もいました。制作側の匙加減なので、絶体絶命の演出にも使えやしない。こういうとろも雑な印象を受けるところです。設定が甘いのではと思わざるを得ません。

超弩級戦艦や高速戦艦を軸とした突入部隊も、深海棲艦からの執拗なまでの打撃を受け、壊滅状態になります。劇冒頭での三川艦隊による一方的な殺戮のお返しと言わんばかりの猛攻は、正に蹂躙と言っていいでしょう。特に睦月が受けたそれは、あまりにもあまりに過ぎていて最高でした。制作陣にいい趣味してる人がいますね。会ってお礼が言いたいぐらいです。

この睦月のピンチ颯爽と現れたのがフェブラリー仮面如月です。半分以上深海棲艦となりながらも、大親友の睦月を助けるシーンは感動的に……なるはずだったのでしょう。これまでの描写で、如月が深海棲艦と艦娘の間で揺れるシーンが描かれなかったため、特に何とも思わないんですよ。一応、深海棲艦になりかけてる自分を見て恐怖を覚えたり、泊地施設を砲撃するシーンがあったりするんですが、なにせ中途半端なものですから、彼女の苦しみが伝わってこないんですよ。

少し前に中途半端な発狂と言ったのはこういうところで、テンポや上映時間の問題もあるんでしょうが、適当すぎるんですよね。これでは、深海棲艦になりかけている如月が艦娘である睦月を助ける辛さが伝わってこない。日和っているとしか言いようがない。如月は最後、沈む際に「みんなのことを傷つけたくなかった」と言うわけですが、彼女は誰も撃ってないんですよ。撃ったのは泊地施設と深海棲艦だけ。「みんなのことを傷つけてしまう前に」だったら、まだ分かるんですが。お話の主眼が如月に置かれている以上、もっと残酷にしたほうが良かったと、すべきではなかったのかと思います。

 

怨霊の怨念が爆発する鉄底海峡

超弩級戦艦や高速戦艦の屍を超えて、吹雪はソロモン海域の中心部に突入します。一連の異変の発生源を殲滅するために。

そこにいたのは、門番と暗黒天使田中Pでした。田中Pは2013年のインタビューで次のように答えています。

実は「艦これ」は,最初はほとんど自分の趣味の企画といってもいい存在だったんです。旧軍の要港があった街や,奮戦して壮烈に,あるいは誰も見ていないところで悲しく沈んでいった艦艇を何らかの形で紹介し,一瞬でもいいからみんなで共有できるようなものを作りたいというのが,そもそもの発端でした。

 

www.4gamer.net

ソロモン海域中心部において、吹雪が邂逅した深海棲艦が吹雪に語りかける科白は、この田中Pの思いを代弁しています。それは正に田中Pの怨念と言っても過言ではないでしょう。艦艇を美少女化してまでも伝えたかった思いが、怨念となって視聴者に訴えかけてくるわけです。

申し訳ないですが、この怨霊の怨念で大爆笑してしまいました。怨念をあそこまで直接的に言われてしまうと、笑ってしまいますね。もう少し濁したり、匂わせたりして、感じ取って下さいと描くと思っていたので、まさかあんなに正直に言われてしまうと、笑いが止まりませんでした。吹雪のCVが上坂すみれさんで良かったです。斎藤千和さんだったら、ただでさえまど○ギ臭が強いのにますます強くなって、声を出して笑っていたと思うので。

そして、怨念を無事成仏させたところで、アニメのOPがほんの少しだけ流れて、主題歌と共にエンドロールが流れます。まぁ、ここで終わってくれればよかったんですが、エンドロール後に蛇足も蛇足が待っていました。

二度目の精霊会議による如月の復活です。アニメでの理不尽な批判が本当に心に来たのか、深海棲艦と化した如月を沈めるシーンもなしに帰ってきました。やるなら、心を鬼にして、とことんやって欲しいものです。ついてくる人は必ずいるんですから。

 

最後に

劇場版艦これを散々雑だ雑だと言っておきながら、結局ぼくの感想もかなり雑になってしまいました。恥ずかしい限りです。

こんなこと書いておいてあれですが、結構楽しんで観ていました。特に三川艦隊は良かったですね。イベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」が行われていた時期は、重巡洋艦古鷹や重巡洋艦加古はそれなりに人気がありましたが、重巡洋艦衣笠は本当に人気がなかったと記憶しています。改二が実装され人気が爆発しましたが、劇場版であんなに可愛い姿を古鷹や加古とともに観せてくれるとは、涙なくして見れません。

最後にアニメ、そして劇場版艦これを与えてくださった草川監督や花田大先生を代表とするスタッフの皆さんにありがとうと言いたいです。

 

過去記事と公式サイト

丁寧なようで雑な記事です。笑って下さい。

 

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アニメ及び劇場版の公式サイト

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さよなら Wake Up, Girls -「Wake Up Girls! Beyond the bottom」感想みたいな何か-

WUG!続・劇場版後編「Wake up Girls! Beyond the bottom」が公開されたので、感想みたいな何かをつらつら書いていこうと思う。前編での感想も書いたし、後編も書かなきゃなということで。

53分間に及ぶダイジェスト

「Beyond the bottom」の感想を端的に言えば、雑である。良く言えば、ダイジェスト版を観せられている感じである。前編で撒いた餌をただただ雑に回収していく。正直言って、ショックだった。こんなものが観たくて、映画館まで行ったんじゃないんだ。ぼくはWUG!を盲信していると言っていい。だからこそ、ショックを受けたのかもしれない。

都落ちと3代目センター

BtBでは大きく分けて2つの側面から描かれた。I-1clubとWUGだ。I-1clubでは前編で嗾けられた売上の競い合いの結果とそれに伴う変化が描かれた。勝利した鈴木萌歌はI-1clubの3代目センターに就任し、敗れた岩崎志保は博多に左遷される。 都落ちアイドルとなった岩崎志保は、博多でネクストストームを結成し、アイドルの祭典への出場、優勝を目指すこととなる。一方の鈴木萌歌はI-1clubセンターとして、I-1clubを引っ張っていこうとする。

このセンター交代劇を経て、2人は大きく変わることになる。アイドルに対し誰よりも真摯であり、厳しくもあった岩崎志保は一つの答えを見い出す。自分が目標であるというアイドルに出逢ったからだ。元I-1club研究生であり、ネクストストームのメンバーである彼女らとの出会いは岩崎志保というアイドルの救いであろう。直向きに努力し、ただただ走り続けトップアイドルになった娘がその立場に悩むことが描かれる話は多い。2次元アイドルの多くが10代20代の多感な女の子であるからこその壁である。そんな彼女らがまた走りだすきっかけはやはり、自分に憧れてアイドルになったという後輩アイドルの存在だった。自分に憧れ、追ってくるものの存在が、彼女らを輝きの向こう側に連れて行くのだ。ネクストストームは岩崎志保にとって、島田真夢の呪縛から開放してくれた存在であり、彼女が走ってきた道が間違ってなかったことの証明だ。挑戦者となった岩崎志保は、ネクストストームに背中を押され、輝きの向こう側に行くのだろう。劇中、彼女はやっとアイドルが好きになれそうと言った(正確にはその意味が分かる気がするだが)。彼女が輝きの向こう側に向かって走りだしたからこその科白ではないか。そう思えてならない。

鈴木萌歌の方はどうか。こちらはかなり雑に描かれた。そう感じる。次期センターと言われていた頃の彼女は高飛車であり、自信家であった。自分に絶対的な自信があったからこそ、彼女は自由であったし、高いプライドを持っていた。その高いプライドと絶対的な自信が、3代目センターとなった彼女の支えである。アイドル界の頂点に君臨しているI-1clubのセンターという重圧は彼女の想像を絶するものだったのだろう。全体練習で(ほんの一瞬だけ)描かれた彼女からは、絶対的センターであった岩崎志保を髣髴とさせる。小早川ティナと鈴木玲奈の大丈夫?という問いに、間髪を入れず大丈夫と返すその姿は正に岩崎志保そのものではなかったか。彼女から見た岩崎志保は決して凄くはなかったと思う。才能はない。努力で勝ち取ったおさがりのセンター。そういう風に見ていたはずだ。だから、岩崎志保の背負っていたものの重さを知った彼女は負けるわけにはいかなかった。それが後編での鈴木萌歌だ。3代目センター鈴木萌歌は、絶対的センター岩崎志保とは違う道を歩むのだろう。世代交代は美しく面白い。きっと描くことはいくつもあったはずだ。時間的な制約を考えれば、真っ先に切られる話かもしれないが、ちゃんと描いて欲しかったと思う。後編での鈴木萌歌は今まで以上に脇役だった。モブと言ってもいいかもしれない。3代目センターとして、新たなアイドル像を見出そうとしている彼女がこれでは哀しすぎないか。

 強引なWUG

もう一つの側面であり、主軸であるWUGであるが、地元仙台に戻り、雑草魂で巻き返しを図る。楽天選手にあやかって何苦楚魂にすれば良かったのに。WUGは土日の朝昼晩のライブを復活させ、夏休みには知名度アップのためにアイカツワゴンWUGワゴン「ごんちゃん」で全国行脚にでる(聖地巡礼する人は大変だろうな……)。アイカツ!の「ルミナス☆ジャパンツアー」を思い浮かべた人はぼくだけじゃないはず。そして、丹下順子の戦友佐藤勝子に書いてもらった新曲「Beyond the bottom」を引っさげて、アイドルの祭典に挑む。

後編ではアイドルの祭典のレギュレーションの都合上、「少女交響曲」とは別にもう一本新曲が必要となった。頼みの早坂には書かないと言われ、良き理解者であるTwinkleは全国ツアー前の多忙を理由に断られる。そこで登場したのがサファイア麗子こと佐藤勝子である。この佐藤勝子周りはかなり強引な印象を受けた。佐藤がサファイア麗子(WUG結成前にグリーンリーブスに在籍していた最後の一人)だという設定もだが、丹下順子の事務所のお金の持ち逃げの理由となった〝愛しのダーリン〟が佐藤だという設定がかなり強引だったと思う。その借りを理由に新曲の作詞作曲を頼むことになるのだが、果たしてその設定は必要だったか。佐藤勝子は丹下順子の戦友。これだけで良かったはずだ。丹下を庇うことはなかった(この過程で前編で撒いたセイント40という餌を適当に消費してしまったというのも大きいと個人的には思っている)。アイドルだけでなくアーティストにとって、楽曲は大切なものである。現実とのハイパーリンクを謳っているWUG!が、新曲をWUG自身が書くという展開にならないのは分かる。だからこそ、もっと丁寧に書かなくてはならないのだ。これでは書かせる相手がいないから、設定でコテコテに固めて、無理矢理それっぽい人を作ったにしか見えない。

後編では前編で提示された「WUGらしさとは何か」という問題に、現時点での解答として一つの山場を描いた。久海菜々美である。劇中、久海菜々美は父親の言葉で揺れる。光塚か、WUG!か。悩む彼女の背中を押したのは林田藍里だった(前編といい、続・劇場版では僕らの主人公林田藍里さんが大きく成長したことが見られて嬉しい)。島田真夢、片山実波も彼女の背中を押し、彼女は光塚受験のために空港へと向かう。そして、WUGはアイドルの祭典のために東京(実際には埼玉)へと向かう。仙台駅でいつものやりとりをする6人。それに対し、どこか悲しい顔をする久海菜々美。対称的な二組を交互に映すことで、久海菜々美の選択を思いを描く。この演出は良かったともう。ぼくはこういう演出は大好きだ。だが、早かった。久海菜々美が光塚受験を告げ、一大決心をしてWUGに戻ってくるまで、恐らく5分ほど。あまりにも雑である。後編の肝と言ってもいいこの山場をそんな短時間で片付けてよかったのだろうか。仙台駅でのWUGと仙台空港での久海菜々美はあれで良かったのかもしれない。だとすれば、ワンクッション挟むべきだったのでないか。7人から6人になったことでフォーメーションの変更があったはずだ。実際にそれを匂わせる発言は劇中でもなされていた。ならば、それは描いて良かったのではと思う。丁寧であるべき箇所を雑に描いている。後編からはそういった印象を受けてしまう。

雑すぎるアイドルの祭典

そして、物語は最終盤、アイドルの祭典を迎える。これは酷かった。中身がない。おまけにもご褒美にもならない。何のために、アイドルの祭典を描いたのか。前哨戦とでも言うべき、島田真夢と岩崎志保の会話シーン。完全にモブと化した鈴木萌歌が悲しくてたまらなかった。ここでトップ7の中で唯一科白どころか映ってすらなかった相沢菜野花に、ようやく初出番が訪れる(鈴木玲奈も科白がなかったが出番はあった)。TV版では科白の多かった彼女だが、劇場版では不遇である(鈴木玲奈はTV版でも不遇だが)。悲しいことにディフェンディングチャンピオン赤味噌オールスターズは今回は名前しか出てこなかった。ライブシーンの作画は凄かった。ライブシーンに力を入れすぎたのか、ちょっと気になる作画があったぐらいだし。 だが、TV版と同じく細切れになる。ネクストストームやI-1clubのライブパートをダイジェストしておいて、肝心のWUGのライブパートは細切れというのはどうなのか。TV版でもそうであったのだから、WUG!の本質はそこではないのかもしれないが、やはり物足りない。

だが、これはそうでもない。気になる程度であって、取り立てて怒ることでもない。酷かったと、許せなかったと思うのは、エンドロール後に描かれた一枚絵だ。あれ、いるか? 描く必要があったか? 非常に雑で非常に強引な終わり方だったと思う。後編の流れで優勝を描くには無理がある。続・劇場版の主軸を考えれば、優勝を描く必要はなかったはずだ。劇中で大田邦良は「アイドルは勝ち負けではない。だが、勝たなければならない戦いもある」と述べている。確かにその通りだ。だが、それはアイドルの話であって、アイドルアニメの話ではない。アニメに限らず、物語には、書かなくてもいいお話もある。全てを書く必要なんてない。続・劇場版において、アイドルの祭典での優勝は無理に書かなくても良かった部分だったと思っている。はっきり言って蛇足だ。あの一枚絵のせいで、すべてが崩れてしまったと思っている。WUG!が描きたかったこと、WUG!で描きたかったこと。それら全てをあの一枚絵が壊してしまったと感じたのである。

山本寛監督はパンフレットに記載されているインタビューで「[後篇]はすごくあっさりした感じで終わりましたよね。ここで変に盛り上げたり、逆に無理に思わせぶりなエンディングにしたりするのは止めようと思いました。ここで強引にまとめて、次が作れなくなるのが一番恐ろしい(笑)」と答えている。たとえエンドロール後に優勝のシーンを描かずに、例えばWUGコールの中、舞台から客席を見渡すシーンだったとしても、無理に思わせぶりだったり、変に盛り上げたとは思わなかったと思う。むしろ、あの一枚絵で終わったほうが、無理に思わせぶりだったり、変に盛り上げたと感じる。こればっかりは、個人の好みでしかないので、大きくは言えないが。

終わりに

ここまでなんだかんだ書いてきたが、ぼくはWUG!が大好きなんだと思う。この事実は変わらないんだと思う。だからこそ、こんな文章を書いてるんだと思う。もちろん、後編にも良い所はたくさんある。僕らの主人公林田藍里さんを筆頭に、WUGの成長はもちろんのこと、高科里佳にCVがつき動いてることは本当に嬉しかった。林田藍里の部屋にクラッチと思われるポスカード?があるのも良かった。

2015年12月12日に行われた「Wake Up, Girls!Festa. 2015 Beyond the Bottom Extend」では、新プロジェクトも発表された。WUG!はまだまだ終わらないというわけだ。ぼくはきっとこれからもWUG!を追っていくんだと思う。だって、WUG!が大好きだから。特別だから。

 

続・劇場版公式サイト

wakeupgirls2.jp

ありがとうWUG! -「Wake Up Girls! 青春の影」感想みたいな何か-

WUG!続・劇場版「Wake up Girls! 青春の影」が公開されたので、感想みたいな何かをつらつら書いていこうと思います。本当は続・劇場版の公開前にもいろいろ書こうと思ってたんですが、PVが公開された時に心が折れました。後編が観終わってからでもいいかとも思いましたが、そうしたら絶対に書かない未来が見えたので、お酒の力を借りて描くことにしました。

ぼくは岩崎志保さんを応援しています

青春の影」の感想を端的に述べれば、「ああ、WUG!だ。これは紛うことなきWUG!だ」です。ストーリーは綺麗な王道です。王道を王道として書くのは難しい。その点、流石です。劇場版、そしてTV版と全くもってぶれていません。ここらが「ああ、WUG!だ。紛うことなきWUG!だ」と思った理由かなと思っています。

どうせ細かいストーリーはもっと上手い人が書いてくれるでしょうし、もう少し詳しく、感想みたいな何かを書いていこうかなと思います。正直な話、前編後編に分けるのなら、もう少し丁寧に書いても良いのではと思いました。でも、前編のテンポの良さを考えると、あれぐらいが丁度良いのかもしれません。「青春の影」は心地良ぐらいのテンポで話が進みます。このテンポの良さは1時間程度の映画だからこそ描ける書き方なのかもしれません。

青春の影」でもっとも嬉しかったのはI-1clubについて描かれていたことです。スカイツリーの描写(結構ぼくは好きです、あの書き方)から、映しだされるI-1club報告会。そこでの白木さんの科白には痺れました。白木さんのアイドル感。白木さんの徹底的なアイドル哲学はこれまでも描かれてきましたが、アイドル感については描かれてなかったように思えます。だからこそ、あの科白には感慨深いものがありました。

そして、I-1clubのセンター争い。これにも痺れました。岩崎志保のセンターへの思いというのはTV版でも度々描かれてきました。対する鈴木萌香がセンターを狙っているというのも描かれていたので、とうとうかという感じでもあります。

アイドルとは何か。これについて未だによく分かっていません。白木さんのアイドル感。岩崎志保のセンターへの執着。突然の鎌倉の老人。これがぼくのこの疑問の答えの手助けになるのではないかなと勝手に思っています。どういう答えが出るのか、後編が楽しみです。

石神井公園勾当台公園に成り得るか

I-1clubについては書いたので、WUG!についても書こうと思います。今回は、僕らの主人公林田藍里ちゃんの成長っぷりに泣きました。ホテルでのシーンもなんですが、石神井公園で「タチアガレ!」を歌い始めた時は、泣きました。ええ、泣きました。今までの林田藍里ちゃんなら、あの場面で歌いださなかったと思います。でも、どんなに成長ししても、林田藍里ちゃんは林田藍里ちゃんなんだとも思いました。この感じは「青春の影」で丁寧に描かれている印象を受けました。確かに今作のWUG!はかなり成長してます。でも、どんなに大きくなっても、WUG!はWUG!なんだよ。そんな思いを受けました。

WUG!が行き着いた先が石神井公園だというのも興味深かったです。どこかの駅前でも何でもなくて、石神井公園。そう言えば、「7人のアイドル」でもお店の裏や駅までビラ配りにライブをしますが、最後に行き着いた先は勾当台公園でした。演出的な理由かもしれませんが、意図的な対比を感じます。というか、感じさせて下さい。WUG!として活動をスタートさせた勾当台公園。WUG!としてリスタートした石神井公園。心躍るものがあるじゃないですか。

そういう意味では、後編で描かれるアイドルの祭典もいいですね。TV版ではアイドルの祭典を経て、WUG!らしさを見つけました。WUG!を見失っている彼女らが、今回のアイドルの祭典で何を見つけるのかが楽しみでありません。

早坂相とかいうワグナー

青春の影」の早坂さんを見てて思ったのですが、彼は太田くんですね。太田くんより厄介なワグナーですね。アイドル像というのは普遍的ではありません。一人ひとり違うものでしょう。早坂さんには早坂さんのWUG!像があるのでしょう。でも、早坂さんの持つWUG!像は、プロデュースする側の持つそれではありません。消費する側のそれです。それも彼の持つWUG!像は大別すれば保守的です。だからこそ、東京に進出してきたWUG!に苛立ちを隠せないようです。WUG!はWUG!のまま成長していって欲しいようです。WUG!に変化は求めていない。進化を求めているのかもしれません。

石神井公園での早坂さんの言動は、そんなワグナーとしての一面を隠せていないように感じました。東京に染まって潰されいく彼女らに耐え切れず、曲なんて作ってしまうですから。そう言えば、早坂さんはどこまで作ったのでしょうか? 曲だけ? 歌詞も? もしかして、振付まで?

本家のワグナーである太田くんもかなり悩んでいるようでした。彼もWUG!の急激な変化に色々と思うところがあるのでしょう。太田くんは特殊なキャラです。アイドルアニメにしては、かなり丁寧にオタクを描いているのではないでしょうか。アイドルではなくても、自分が応援しているものがどんどん進んでいくことに不安になることはあると思います。そう考えると、太田くんは狂信的なのかもしれません。

この2人のワグナーがどのような答えをだすか。これも楽しみなところではあります。

最後に

読み返してみると、どんどん駄文になっていってますね。申し訳ないです。ただ、皆さんも早く「青春の影」を観ましょう。「7人のアイドル」、TV版を楽しく観た人なら、楽しめるのではないかなと思います。それと「Beyond the Bottom」が楽しみですね。

読まなくてもいいおまけ 他の客に迷惑をかけるのは止めましょうと言うお話

観に行った映画館に迷惑なおじさんがいたんで、そのことを書いておこうかなと思いまうす。別に糾弾したいわけではなくて、誰かに話したり、何処かに書いておかないと、精神的に辛いんで書いておくだけです。

青春の影」の入場特典は、完全ランダムなので、選べないわけなのですが、スタッフの方に難癖をつけて、自分で選んでいるおじさんがいました。もちろん、封書に入っているので、お目当てのものを得られるわけではないのですが、やはりいい感じではありません。スタッフの方は対応に困っていましたし、近くのお客さんに対し切れており、スタッフの方に八つ当たりするという有様でした。

そのおじさんは、上映終了後にも騒いでいました。上映中にガサガサと音がした。静かに見れないのか。金返せとのことでした。ぼくはそのような感じは受けなかったので、そのおじさんの勝手な思い込みだと思います。

別にオタクだからというわけではなく、人としてどうなのよ。一人の大人として、それは駄目でしょというお話でした。

続・劇場版公式サイト

wakeupgirls2.jp