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画面のこちら側

取り敢えず色々手を出してみる

艦これアニメ感想

艦これアニメも終わったので、感想みたいなものをつらつらと書いていこうかな、と。

各話ごとのなんとやら

取り敢えず各話ごとに、当時の自分のtweetと共に感想でも書いていきます。ハッシュタグ付けてると、こういうことも出来て便利ですね。

#1 初めまして!司令官

1話はこれに付きますね。「艦これは授業参観。デレマスは株主総会」とか何とか言われてましたが、御多分にもれずぼくも授業参観状態でした。

#2 悖らず、恥じず、憾まず!

 残念なことに、何も覚えてなかったです。^^; tweet見る限りだと、足柄さんの飢えた狼ネタがあった回だったか、と。ゲーム科白以外に2次創作(というか、ネットネタ?)をぶっこんでいくことがここらで明確になりました。

#3 W島攻略作戦!

一番最初に ネットが大荒れした回でしたね()。一応戦争ものなんだから、轟沈は避けて通れないと思っていたので、別に驚きはしなかったんですが……。とは言え、ちょっと雑かなーとは思いました。

#4 私たちの出番ネ!Follow me!

 ゲーム科白を使うのは良いと思うんですけど、闇雲に使えば良いってわけじゃないでしょ……。

#5 五航戦の子なんかと一緒にしないで!

ありがとう瑞加賀な回だったと思うですけど、感想っていう感想をtweetをしていませんでした。リアタイで観ていたんですけどね。ここら辺からギャグアニメ感が強くなってきた印象があります。

#6 第六駆逐隊、カレー洋作戦!

 「ぼくらが求めていたもの」とか言われていた回です。tweetから察するに、大井のbotがどうのと騒がれていた時期だと思います。アホかって感じですが。

#7 一航戦なんて、大ッッキライ!

 そんなことはありませんでしたね。主人公さんの有能さというより、他の娘の無能さが目立ち始めてきた回でもあったと思います。

#8 ホテルじゃありませんっ!

 謎の水着回でした。体調が悪かったんで、実況をしてなかったので、取り立てて纏めることもありません。

#9 改二っぽい?!

 この回も体調が悪くてリアタイで観てないので、大したtweetがありませんでした。

#10 頑張っていきましょー!

 帰省してたため、これまたリアタイで観てないので、実況tweetがないですね。こうなってくると、過去tweetを取り上げる意味があるか分からなくなってきますね。主人公さんが空回りして、夢で見たとかいう衝撃的な贔屓理由が明らかになった回でした。

#11 MI作戦!発動!

 前世の記憶というより、ループものでも見せられているようなアバンがあった回でした。むっちゃんがながもんさんを抱いてたけど、ながもんさんの頭のやつ邪魔じゃなかったのかな?

#12 敵機直上、急降下!

 最終回だから(制作側が)好き勝手やらせて貰ったっていう感じの回でした。アニメの世界では二人で弓撃つの流行ってるんですかね? 前に五航戦もやってましたよね。後半、正規空母の皆さんがずばずば艦載機飛ばしてましたけど、蒼龍さんって飛ばしてました?

 

取り敢えず、各話の感想はこんな感じです。

叩かれまくったアニメスタッフ

結果的にアニメスタッフは叩かれることになってしまいました。好みなんて人それぞれなので、叩かれるのはある程度は仕方がないとは思いますが、艦これアニメは度が過ぎた叩かれたでした。

ぼくはアニメスタッフは板挟みなのかと感じました。艦これアニメを観る限り、艦これ運営側から何らかの要望があったことは確かだと思います。要望という強いものではなかったかもしれませんが。アニメスタッフ側も運営側の希望を叶えようとしながらも、提督(プレイヤー)の期待にも応えようとしていたように思えます。

人の好みは様々です。250万もいるらしい提督全ての希望するアニメの制作は不可能でしょう。それでもなるだけ叶えようとした結果、ああなってしまったように思えます。シリアスものにするのか、日常ものにするのか。艦これアニメはどっちつかずでした。このようになったのも、こういうところが原因なのかなと思います。

アニメスタッフ側が視聴者に対して神経質になる必要はないと思います。視聴者の顔色を伺ったところで、面白いものは作れないでしょう。そんなことをしなくても面白いと思ってくれる人は勝手についてきます。制作側が視聴者像を細かくしてしまうと、面白いものは作れないと思います。これはアニメに限ったことではないでしょう。読者像、視聴者像がふわっとしていた方が面白いものを作れるとぼくは思っています。シャープにすればするほど、雁字搦めになってしまい、結局つまらないものが出来上がると思います。

最後に

色々言いましたが、ぼくは艦これアニメを楽しんで観ていました。花田先生や草川先生にはありがとうと言いたいです。まぁ、書きたいことはまだあるんですけど、わざわざ火に飛び込む必要もありませんからね。

 過去記事

今回のよりは纏まってる気がします。

 

jkflipflopuding.hatenablog.jp

 

 

jkflipflopuding.hatenablog.jp

 

私的10年代アイドルアニメ論

もともとこの記事は、私のTumblrに投稿したものである。あれを書いてから、「アイドルマスターシンデレラガールズ」が放送を開始したこともあり、私なりに気に食わない点を修正して、もう一度投稿しようと思い、この記事を書いた。Tumblrでなくはてなブログに投稿したのには、それといった理由はなく、はてなブログを使ってみたかった。それだけである。

 

地元ではアニメがほとんど放送されてなかったこともあり、私は大学生になるまで、アニメというのをほとんど観たことがなかった。しかし、気づけば友だちの洗脳の甲斐もあり、今では数多くのアニメを観ている現状だ。ただそれでも、アニメを観始めてたった4年である。これから書くのは、あくまでも〝新参〟の個人的な意見、つまり戯言である。そこら辺を踏まえて、大きな心で読んでいただきたい。

ラブライブ!」はアイドルアニメか

μ'sはアイドルであるが、ラブライブ!はアイドルアニメではない。これが私の持論であるが、中々納得してもらえない。一言でもこれを言えば、避難の雨あられである。そもそも、アイドルアニメとは何なのか。アイドルが出ていれば、アイドルアニメなのか。私は違うと思う。劇中において、アイドルが「手段」ではなく「目的」である。端的に言えば、これがアイドルアニメの十分条件だと思う。
このことを踏まえてもらえば、前述の持論も少しは理解してもらえると思う。彼女らにとってアイドルは手段であったからだ。彼女らはあくまでも廃校の危機を救うためにアイドルになったのであり、アイドルになりたいという夢があったわけではない(例外もいるが)。このことは非常に大きいと思っている。劇中では〝アイドル〟としての彼女らはほとんど描かかれていなかった。多くは〝音ノ木坂学院生〟としての彼女らだ。スクールアイドルなのだから、当たり前ではないかと思うかもしれない。だが、これはラブライブ!ラブライブ!たる所以であると同時に、ラブライブ!がアイドルアニメではないことの証明なのである。
学生でありながらアイドルというのは、アイドルアニメではよくあることだ。2次元アイドルに限らず、現実のアイドルでも普通のことであるから、当たり前と言えば当たり前である。学生アイドルであることの弊害。これは数多のアイドルアニメでも描かれている。だが、特定の学校の生徒であることに言及したものはなかったと思う。だが、ラブライブ!は違う。彼女らは学生アイドルではなく、〝音ノ木坂学院生アイドル〟なのだ。だからこそ、物語の中心は音ノ木坂学院になるのである。アイドルが目的ではなく手段であったからこそ、音ノ木坂学院生としての一面が強くなるのではないか。
私は彼女らにとってアイドルが手段であったからこそ、2期11話での結論に至ったと考えている。彼女らにとって大切なのはμ'sというアイドルではなく。音ノ木坂学院のμ'sなのである。9人でのμ'sでなければならないというのなら、他にやりようがあったはずだ。だが、彼女らはその道を選ばなかったし、その方法は描かれなかった。それはラブライブ!において、音ノ木坂学院で過ごした日々が大切であることの何よりの証明ではないだろうか。スクールアイドルのμ'sではなく、音ノ木坂学院生のμ's。これがラブライブ!である。スクールアイドルが主人公のアイドルアニメではなく、スクールアイドルが主人公の学園もの。これがラブライブ!をカテゴリ分けしたときに、最もしっくりくる言葉ではないだろうか。少なくとも私はそう思っている。

WUG! の問題点

「Wake Up,Gilrs!」を初めて見たのは劇場版「Wake Up,Gils! 7人のアイドル」の試写会であった。この日のことはよく覚えている。試写会終了後、私は怒りに震えていた。過度なパンチラシーン。これが全てだったと思う。WUG!はこれで有名になり、これで叩かれる運命となった。監督がヤマカンであることは、あの時点ではそこまで問題ではなかったはずだ。私はWUG!に嵌った現在でも、あれは許せていない。やっぱりするべきではなかったと思っている。
監督がヤマカンであることに加え、劇場版の過度なパンチラシーンで、アニメ視聴者は放送前からWUG!に失敗作の烙印を押した。放送が始まっても、それは変わらなかった。所詮ヤマカンアニメ、所詮パンチラアニメといった状況で、内容など関係がなかった。それらに引っ張られて、WUG!はまともに観られていなかったと思っている。
はっきり言ってしまえば、私はWUG!の信者であろう。試写会終了後では想像だにしなかったが、TVシリーズを経て現在では立派な信者である。だが、手拍子で褒めているわけではない。やはり叩かれる部分もあり、それから目を背けることはできない。例えば、前述の過度なパンチラだ。これは叩かれても文句は言えないのではないかと思う。劇場版のライブシーンのパンチラ。あれにはどんな意図があったのだろうか。彼女らの必死さを表したかったのかもしれない。だが、過度なパンチラのおかげで本質からずれてしまってた。視聴者はあのシーンからはパンチラしか感じ取らなかったはずだ。どんな大義名分であろうと、あのパンチラの前では掠れてしまうだろう。それでは本末転倒ではないか。WUG!におけるライブシーンは特殊だ。キャストが実際に踊ったものを撮影し、そこからアニメに起こすという手法を用いている。そのことは、WUG!の売りの一つであったはずだ。それもあのパンチラで台無しである。
他にもTVシリーズにおける作画などがあるが、それよりも私はキャラ設定のぶれが凄く気になっている。劇場版のデビューライブの直前に、久海菜々美は緊張しいであるということが明かされた。久海菜々美が緊張しいというのは、意外な設定でありとても印象に残っていた。しかし、TVシリーズにおいて、その設定は活かされるどころか、触れられることはなかった。これ以外にもそれまでの設定がなかったことになることが多かった。なかったことになるというよりは、あったことを忘れているという感じかもしれない。好意的に考えれば、キャラ設定のぶれは尺の都合があるかもしれない。
そもそも、前日譚である劇場版もTVシリーズに組み込むはずだったが、尺の都合で劇場版にしたという経緯がある。それでも、TVシリーズからは尺が足りない印象を受ける。しっかりと描かかなければならない部分が描けていない。そんな印象を受けた。その印象を最も強く受けたのは、8話と10話だ。8話は所謂ななみん回であり、久海菜々美を描いた話だ。久海菜々美には光塚に入るという夢がある。8話ではWUG!を止めて光塚受験に向かうということがこの話では描かれた。結局は光塚受験よりもWUG!を優先することになるのが、ここらへんの決意の理由はなあなあとなった。9話の終わりにて、突然光塚受験を諦めるというシーンが唐突に描かれた。これが尺の都合でなくてなんなのか。前述のキャラ設定もそうだが、TVシリーズにおいて久海菜々美は不遇であったと思う。

WUG! におけるI-1club

長々とWUG!の悪い点を書いてきたが、改めて言うが私はWUG!の信者である。では、WUG!の良さとは何なのか。私は〝超えられない壁の存在〟であると思う。アイドルアニメに限らず、ライバルや目標となる存在は、物語において重要である。ストーリーのない所謂日常系アニメと呼ばれるものでなければ、必ずこれらのキャラは出てくることだろう。「THE IDOLM@STER」では961プロ、「アイカツ!」では神崎美月がそれに当たるだろう。アイマスアイカツ!もそうであるが、物語の終盤では主人公はライバルや目標となる存在を超えることになる。
では、WUG!はどうだったか。WUG!におけるそれは、I-1clubだ。TVシリーズも後半になれば、WUG!の打倒I-1clubの構図は色濃くなる。結局WUG!はアイドルの祭典で優勝すること無く、物語に幕を閉じた。だが、仮にアイドルの祭典で優勝したとして、I-1clubに追いついたと言えるのだろうか。WUG!の世界において、I-1clubの存在は圧倒的である。元I-1clubの島田真夢を通して、それは否応なしに伝わってくる。TVシリーズ最終話で、WUG!は大手レコード会社から連絡を受ける。これは、物語の中において、WUG!の知名度及び期待度が高まったことを示している。ではこれは、I-1clubに追いついたと言っていいのか。そうではないと思う。スタートラインに立ったにすぎない。劇場版とTVシリーズ12話分を通して、I-1clubと同じ土俵に漸く立てたのだ。WUG!ではI-1clubに勝たせなかったのだ。超えられない壁としてのI-1club。これこそが、WUG!の良さであり、WUG!がWUG!たる所以であろう。では、劇場版及びTVシリーズでの彼女らの努力は無駄だったのだろうか。そうではない。勝てなかったからこそ、彼女らの努力に意味があるのだ。

アイマスという存在

近年のアイドルアニメとして、アイマスを避けて通ることはできないだろう。私が友人にWUG!の素晴らしさを語る度に、アイマスを観てないからそんなことを言えるのだと言われ続けた。これを書く数ヶ月前、漸くアイマスを観た。最初に感想を言うと中弛みはあるが、非常に面白かった。だが、WUG!と比較してどちらがという話ではない。WUG!にはWUG!の、アイマスにはアイマスの良さがある。
アイマスの良さは何か。こう問われて、私がぱっと思いつくのは二つある。一つは天海春香の科白である「後ろの席までちゃーんと見えてるからねー」だ。この科白が初めて出たのは、何話だっただろうか。11話か12話だったと記憶している。私はこの科白を聞いた時、鳥肌が立ったのを覚えている。それぐらい、この科白のインパクトは大きかった。この科白は、彼女が子供の頃に好きだったアイドルの科白である。彼女はアイドルになり、ステージでこの科白を言うことが夢であるとも語っていた。彼女はこの科白を通してアイドルを見て、この科白を通してアイドルを見せようとしている。アイマスで描かれるアイドルがどういうものであるか。この短い科白にはそれが詰まっているのである。
1クール目終盤では星井美希が、2クール中盤では如月千早が、終盤では天海春香が壁にぶつかり、立ち止まることになる。壁にぶつかる。他のアイドルアニメでもよくある展開である。壁を乗り越える方法として多いのは、仲間やファンの存在ではないだろうか。これらを支えに壁を乗り越えるというのは感動的である。WUG!においても林田藍里や岡本美夕がこれらを支えに壁を乗り越えている。では、彼女らはどのようにしてその壁を乗り越えただろうか。仲間やファンの存在だろうか。それもある。だが、最も大きな支えとなったはアイドルが子供の頃の夢であるという点ではなかっただろうか。彼女らは壁にぶつかり、悩み苦しんでいる時に、どうしてアイドルになりたかったのかを思い出す。先の3人誰をとってもそうであった。そこは徹底しているように感じた。これがアイマスの良さの二つ目であると考えている。正直な話、24話では天海春香がジュピターのライブを見るシーンが描かれると思っていた。そのライブでのジュピターの振る舞いから、彼女は彼女にとっての仲間やファンを見つけ、壁を乗り越えるものだと。だが、実際はそんなシーンは描かれることなく、彼女はアイドルを目指す幼稚園児を見て、彼女はどうしてアイドルを目指したかを思い出し、765プロへと歩みだしたのだ。
この3人の描き方は、アイマスが夢を叶える物語であることを表していると思う。最初の方に、アイドルアニメにおいて、アイドルは「手段」ではなく「目的」であると書いた。その観点からすれば、それは当たり前のことに思える。だが、そのことを主眼に置いて描いたアイドルアニメはあっただろうか。アイドルアニメなのだから、登場人物の夢がアイドルは当たり前。だから、描くべき部分は別のとこにある。そういうものがほとんどではなかろうか。彼女らにとってアイドルは夢である。それがアイマスの核であるからこそ、彼女らは立ち止まる度に原点に帰るのである。
劇場版「THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」では、少し違っている。アイドルは彼女らの夢ではなくなっているのだ。劇場版では、アイドルは物語になっている。これは劇中の天海春香の科白から分かる。物語終盤で矢吹可奈らと一緒にアリーナに行くシーンがある。彼女はそこで言う。今私がいる場所は今までの全部で出来てるんだと。この科白は印象深かった。TVシリーズとの違いを明確に表しているようにみえるからだ。TVシリーズは夢を叶える物語であった。だが、劇場版は違う。アイドルして歩んでいく物語である。自分の夢であるアイドルとは何なのか。そのことに悩み苦しんでいるのがTVシリーズであった。だが、劇場版ではそうではない。彼女らなりのアイドル像を手に入れているのだ。つまり、劇場版は夢を叶えた後の彼女らの物語なのである。
「selector spread WIXOSS」でふたせ文緒は夢は叶え続けなくてはいけないと言った。叶えて終わりではない。叶えてからが始まりだと。劇場版アイマスは正に夢を叶え続けていく物語だ。だからこそ、天海春香のあの科白なのである。それが〝輝きの向こう側〟なのかもしれない。彼女らはアイドルになるという夢を叶え、新たなステージに旅立とうとしている。そのステージこそが、アイドルとして歩んでいくことだと思う。それはつまり、夢を叶えた後の世界だ。夢を叶え続けていくこと。それは、夢を叶えること以上に難しいことのように思える。彼女らはその道を歩む決意をしたのである。
これは劇場版アイマスアイマスアニメとしての集大成として、非常に高い完成度であることを示している。だが、私は感動を覚えながらも、同時に哀しみを覚えたのである。TVシリーズで描かれていたアイドルが彼女らの夢であるということ。アイマスアニメがこれを徹底して描いていたところに、私は惹かれたのではないだろうか。劇場版で示された輝きの向こう側は、数多のアイドルアニメでも描かれていることではないだろうか。確かに劇場版で描かれたものは、アイマスでなければ描けなかったことは間違いない。だがそれでも、アイマスアニメが数多のアイドルアニメの一つになってしまったことは否めないのではないか。そう感じてしまったから、劇場版アイマスを素直に賞賛できなかった理由かもしれない。私はそう思っている。

WUG! から見るアイドル

WUG!の新作劇場版が作製されることが2014年冬に発表された。たった30秒のトレーラーから私が感じたのは違和感だった。何度も観返して気づいた。トレーラーのWUG!は大人の女性だ。TVシリーズで感じた子供っぽさはなかった。このことに気づいた時、私が思うアイドルとは何なのかが分かった気がする。私はアイドルに詳しくはないので、現実のアイドルがどうなのかは分からないが、2次元アイドルの多くは10代の少女である。アニメで描かれる彼女らは、歳不相応だ。たかが10代のくせに無理し過ぎなのである。10代はまだまだ子供であろう。そもそも、20代前半も子供と言っても差し支えない気がする。だが、2次元アイドルは子供らしいとこを見せず、時に無茶とも取れるような無理をするのだ。背伸びをしているのだ。私はアイドルだから。ファンがいるから。そうやって、彼女らは平気で無理をするのだ。
この背伸びをしている感じこそ、私はアイドルだと思う。その背伸びがあるからこそ、時折見せる10代らしい表情に胸を打たれるのだ。彼女らが壁にぶつかった時、私ははっきりと感じるのである。どんなに凄く見えても、まだ10代の少女なのだと。この瞬間こそ、アイドルアニメである。だから私は、それが良くないことだと思いながらも、もっと無理をしろ、もっと背伸びをしろと思ってしまうのだ。まだまだ10代の少女なのにと、感情移入もしやすくなる。感動的な物語とは、ある種残酷である。
2015年1月24日に放送された「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」にゲスト出演された振付師の竹中夏海さんは、「アイドルにはヒーロー物の三大要素――不思議な出生、怪物退治、財宝獲得がある」と仰っていた。確かに納得できる話である。竹中さんは現実のアイドルについて仰っていたが、2次元アイドルにも同じことが言える考えだ。だが、これはアイドルに限らないことだと思う。流行りもの殆どにこのことは当てはまるだろう。

「ロコドル」というアイドル

2014年夏、「普通の女子高生が【ろこどる】やってみた」が放送された。ろこどるによって、ロコドルという新しいアイドルの形態が広まることとなった。地方アイドルと言えば、前述のWUG!がある。流川ガールズとWUG!、つまりロコドルと地方アイドルの違いは何なのか。それはろこどる最終話で描かれている。流川ガールズはロコドルフェスタを終え、地元の夏祭りで「ああ、流川」を歌った。夏祭りで歌うのは「魚心くんソング」でも良かったように思える。だが、「ああ、流川」を歌ったのである。ろこどるにおいて、「ああ、流川」は重要だ。「ああ、流川」はあくまでも、市の歌だ。その「ああ、流川」を持ち曲として歌えることこそが、ロコドルが地方アイドルと違う点であり、ろこどるの良さでもあるのだ。
流川ガールズは、流川市のアイドル。だからこそ、流川ガールズにとって、流川市が最も大切である。このことは、TVアニメ13話できっちりと描かれている。ラブライブ!における中心が音ノ木坂学院であるように、ろこどるにおける中心は流川市なのだ。それを最も表しているのが、夏祭りで歌った「ああ、流川」なのだ。最初に書いたように、アイドルアニメのアイドルは、「目的」ではなく「手段」。このことから、考えればろこどるはアイドルアニメではない。だが、ロコドルという存在を確立させたという点で、ろこどるは10年代アイドルアニメを語る上では外せないのである。

 

デレマスとアイカツ!

この記事を書き始めてから、「アイドルマスターシンデレラガールズ」の放送が始まった。執筆時点での放送話数は4話である。3話まで観た時点で私はアイカツ!だと思った。恥ずかしい話、私はアイカツ!を3rdシーズンからしか観ていない。なので、アイカツ!っぽいと言っても、3rdシーズンのという枕詞が付くことになるが。
デレマス1話では主人公格である島村卯月、渋谷凛、本田未央が346プロ入りする経緯が描かれ、2話では他のシンデレラプロジェクトのメンバーと3人の位置づけの説明がされた。そして、3話では3人がバックダンサーを通してアイドルの世界に触れる様子が描かれた。アイカツ!らしさを感じたのは、主人公格の3人からだ。彼女たちはアイドルではなく、まだファンなのである。それは2話でも描かれれいるし、3話でもそのことは強く描かれている。彼女たちがアイドルではなくファンであるから、3話はあのようになったのだ。
3話切りが一般的な現在、多くのアニメでは3話で大きな動きがある。奇しくもデレマス放送日の数日前に放送された某アニメも3話で大きな動きがあった。デレマス3話がライブ回であることは、次回予告から分かっていたので、デレマスでも大きな動き、つまりライブで失敗するのではと騒がれていた。だが実際には、そんなことはなく、彼女たちは何の問題もなく踊りきった。それは彼女たちがファンであるからだ。ライブは楽しい。この楽しさをもう一度味わいたい。アイドルになりたい。そういう風に彼女たちが思うために、ライブの成功という演出になったのではないか。私はそう思っている。
アイカツ!の大空あかり、氷上スミレ、新条ひなきの3人もアイドルらしさは薄く、ファンであるほうがしっくりくる。それは114話で印象的に描かれている。114話はクリスマス回であり、大空あかりはクリスマスツリー用として樅の木を切った。1年前のクリスマスでは、彼女が憧れる星宮いちごも同じように樅の木を切っていて、114話での彼女の行為は星宮いちごの真似のなのである。このことは劇中でも描かれており、紅林珠璃の科白から分かる。友だちのために切った星宮いちごに対し、憧れるアイドルの真似事として切った大空あかり。この対比がアイカツ!3rdシーズンであり、3人がまだまだファンにすぎないことを表している。
しかし、117話あたりから流れが変わりつつある。ファンであった彼女たちがアイドルになりかけてきた。これからが楽しみである。彼女たちがどうアイドルになっていくのか。つい期待してしまう。ついこの前放送されたデレマス4話も期待したくなるような話だった。まさに物語が始まるといった感じだった。3話にてアイドルの楽しさを知った3人がどういう風に歩いて行くのか。楽しみにならざるを得ない。

アニメは面白いよ

一番初めにも書いたが、私はアニメを観始めて4年も経っていないのだ。観ていないアニメもまだまだたくさんある。この文章で触れたアニメもまだ1回しか観ておらず、うろ覚えで書いた部分も多々ある。だから、ずれていると感じるところもあるかも知れない。だが、それでもはっきりしてることはアニメは面白いってことだ。こんな駄文をだらだら書いてしまうくらいには面白い。それが伝われば、書いた甲斐があるというものだ。

 

冒頭に、Tumblrに投稿したものを、私なりに気に食わない点を修正したものだと書いた。気に食わない点は幾つかあったが、ろこどるの話が最も気に食わない箇所で、ここを修正したかった。結局、私の実力不足で修正することが出来ず、デレマスの話を加筆しただけになってしまった。

 

過去記事

私的10年代アイドルアニメ論 - tanaca

前回の記事の補足を兼ねた「艦これ」4話までの感想

艦これ」アニメも4話が放送されたので、前回の記事の補足を兼ねて感想をつらつらと書いていく。流石に前回のは酷かったので……。

ネタキャラと化した金剛姉妹

先ずは4話の感想をさらっと書いておこう。4話では金剛姉妹がメインで描かれた。金剛姉妹は戦場で頼れるお姉さん枠かと思いきや、完全なるネタ枠だった。前回までの話を思えば、2次創作を拾っていたので、こんなキャラになるとは想像だにしなかったが、「提督を映さない」という演出なので、こうなっても仕方ないかもしれない。「2次創作を参考にする演出」と「提督を映さない演出」の不協和音という新しい一面が味わえた回だった。

ゲームの科白を喋る艦娘

4話でも艦娘はゲームの科白をこれでもかと喋っていた。ここまでくると、この演出は運営側からの要望だと思われる。ゲームの科白を喋る艦娘がでてきた時、視聴者はどう思うだろうか。ブラウザゲーム艦これ」が本当にアニメになったんだと感慨深くなるかもしれない。原作ネタを入れるのはよくあることだ。だが、配分というものがある。

艦これ」アニメでは喋らせすぎている。艦これアニメの場合、これが通用するのは1話の冒頭ぐらいだろう。「艦これ」アニメでのゲーム科白の多様は、キャラの描き方の雑さを浮き立たせている。いや、これが運営からの要望だと考えると、アニメ制作スタッフの苦悩が見える。あくまでも推測でしかないが、運営側もこんな風になるとは思っていなかっただろう。「たくさんの艦娘がでて、彼女たちがゲームの科白を喋ったらきっと嬉しいですよね」。これぐらいの軽い感じだったと思う。だが、スタッフ側は何とかゲームの科白を喋らせようとしただろう。その結果があれだ。そう思い観ると悲しくなってくる。(でも、金剛のMVP科白を吹雪に向けて喋るのはどうかと思うぞ)

艦これアニメはラブライブ!

4話まで観て「艦これ」アニメは「ラブライブ!」だなと感じた。

ラブライブ!」はキャラアニメであり、ストーリーははっきり言ってない。なので、ストーリーを目当てに観ると耐えられない。「ラブライブ!」はあくまでもキャラを愛でるアニメだ。ストーリーは気にしてはいけない。言い換えれば、好きな娘がいなければ、観ることは出来ないだろう。

艦これ」アニメもそういうところがある。まだ4話なのでなんとも言えないが、キャラアニメの様相を呈している。ストーリーではなく、キャラ一人ひとりに注目して観ると、かなり出来が良いことが分かると思う。しっかりとキャラを立てているのだ。それだけに、ゲームの科白が痛い。この科白一つで全てが台無しになっている印象さえ受ける。

終わりに

終わってみると、前回書いたものより酷くなってしまった。取り急ぎ書いたからということで許してほしい。

前回の記事

「艦これ」アニメ 3話時点でのなんとやら - 画面のこちら側

 

「艦これ」アニメ 3話時点でのなんとやら

はてなブログを始めてみたし、試しに何か書いてみようということで、今話題の「艦これ」アニメについて、3話放映時点での感想みたいなものをつらつら書いていく。お試しの投稿だからと適当に書いたので、目くじらを立てずに軽く流して欲しい。

GFアニメみたいな1話

1話を観た時に真っ先に思ったのが、「あっ、これGFアニメ1話だ」であった。どちらのアニメも1話は、所謂キャラ紹介回だった。

GF1話は、椎名心実がクロエ・ルメールの忘れ物を届けるという話である。劇中、彼女は中々クロエ・ルメールを見つけることが出来ず、校内を右往左往することになり、その中途で多くの生徒に会うという体で、キャラ紹介をしていた。はっきり言ってしまえば、かなり不自然であった。忘れ物を直接クロエ・ルメール本人に届けなければならない理由が描かれていなかったからだ。忘れ物を届けるならば、クロエ・ルメールの担任やクラスメートに頼めば済む話である。だが実際には、彼女はそうはしなかった。そうしなかった理由が何らかの形で提示されなければ、演出の都合という印象が強くなってしまう。それは興醒めであろう。

対する艦これ1話は、特型駆逐艦1番艦吹雪の第3水雷戦隊への配属、そして初出撃が描かれた。こちらはキャラ紹介だけでなく、吹雪の目を通して世界観の紹介もなされた。こちらは椎名心実とは違い、行動自体には不自然さを感じなかった。不自然に感じたのは艦娘の登場の仕方だ。

これはキャラ紹介を世界観の紹介と同時並行で行ったことに原因があると思っている。鎮守府にはこういう設備があり、そこではこのようなことをしてますよ。この世界には深海棲艦という敵がいますよ。艦これ1話ではそういった説明の中に、艦娘を写り込ませることで、キャラ紹介をしているのだ。更に艦これアニメは、艦娘の登場数もかなりのものであった。そのため、情報量も自然と多くなる。だが、アニメ1話はたった30分しかない。そこに収めなくてはならないので、場面はころころと変わり、艦娘はわーっと出てすぱっと消える。これではどんな艦娘がでるかも分からないし、どんな娘かも分からない。

運営側からの要望なのか、アニメスタッフのアイディアかは分からないが、艦娘達はゲームの科白を喋っていた。これ自体は別に悪くないと思う。少ない情報量でキャラを立てることができるからだ。ただ、1話のように艦娘がすぱすぱ消えていく中でのあれは、雑な印象を与えてしまう。世界観紹介の中に、艦娘をこれでもかとぶち込み、それでは薄いから取り敢えずゲームの科白を喋らせた。私が捻くれているだけかもしれないが、こんな風に感じたのだ。

上手く書けたかどうか怪しいので改めて書くと、GFアニメ1話と艦これアニメ1話ともキャラが不自然に登場し、その数もとても多かった。だから、最初に書いたような印象をうけたのだ。

「艦隊戦」という足枷

 艦これアニメには多くの艦娘が登場する。それも1クールでは捌けないのではと思う程にだ。GFアニメも多くのキャラが登場した。1話でも十分多かったのに、2話でも新キャラが登場したのだから、恐ろしい程の登場人物数だ。だが終わってみれば、1クール内で上手く捌いていたと思う。これはキャラを一人ひとりだすのではなく、グループ単位で出していたからだ。

だが、艦これはそうはいかない。こと戦闘において、水雷戦隊だけでとはいかなからだ。深海棲艦との戦闘は、あくまでも艦隊戦だ。戦闘シーンを描くとなれば、一つの戦隊だけでなく、他の戦隊も出さなければならない。そうなれば、登場艦娘は自然と多くなり、主人公格でない艦娘の出番を削らざるを得なくなる。出番を削られた艦娘は薄くなってしまうので、ゲームの科白を喋らせることになる。それは演出の都合という印象を強くするのではないか。

騒ぎになった轟沈について

 艦これ3話において、吹雪型駆逐艦2番艦如月が轟沈した。これに対し、Twitterでは騒ぎになり、一部のユーザーが公式アカウントに凸するという事態までになった。如月轟沈に関して言えば、特に驚きはしなかった。アニメで深海棲艦との戦闘を描く以上、轟沈を避けて通ることはできないからだ。だが、あまりにも雑だったと思う。史実通りと言えば聞こえは良いが、尺の都合でという感じが強かった。

ただ、如月の轟沈に対して文句を言っているのは筋違いであろう。アニメはあくまでもフィクションだ。提督にとっての現実はあくまでも〝ゲーム〟だろう。アニメで描かれる鎮守府は、私たちの鎮守府ではない。私たちの鎮守府はゲーム内にあるのだろう?

最後に

だらだかいてきたが、まだ3話だ。評価するには時間が早過ぎる。ここに書いてあるのは、あくまでも3話での感想であるし、私自身艦これアニメは毎週楽しく観ている。

最初にも書いたが、これはお試しの投稿だからと適当に書いたので、目くじらを立てずに軽く流して欲しい。正直、最後の方は疲れたので、凄く適当に書いた。自分でも読み返すと頭を抱えたくなるほどだ。それでも、最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございました。